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塾、予備校は廃止に。
進学塾、予備校のこと。私は塾、予備校は廃止すべきと考えます。
明治になって、教育制度が整えられるに伴い、試験制度も登場するわけですが、それへの対応のため、大正時代以降、予備校が登場します。
当時は義務教育は小学まで。中学へ、高校へ、大学へ、と進学する生徒はごく一部のエリートであり、今では珍しくもない4年制大学への進学も当時はまさに高学歴でした。
戦後になって、程なく中学までが義務教育となり、70年代あたりからは高校も急に増え、高校進学率もほぼ99%になります。
さらに、2000年以降は大学も増え、今では高校からの大学進学率は50%ほど。短大、専門まで含めれば、高校からの進学率は8割になります。
高校が増えたことで、高校入試の塾が増え、また、大学進学者が増えたことで、予備校も増えていく、そうやって受験産業が台頭します。入試の大衆化といえる現象が起きるわけです。
塾、予備校の建物。玄関には外から見て目立つよう、大きな紙が張り出してあり、どの進学校、どの大学に何名の合格者を出した、といった実績を訴求しています。
毎年、夏前には塾のチラシも郵便受けに投函されます。少子化で塾業界も淘汰が進む昨今、生徒の獲得に余念がないのでしょう。また、そのコピーに多くの親もつられてしまうのでしょう。
受験業界にとって、一つの目安は東京大学にどれだけ、合格者を出したか、が指標としてあります。国家1種公務員、霞ヶ関のキャリア官僚、各省庁の幹部になれるのは東大法学部出身者で占められていますから。
名門企業であれば、早稲田、慶応といった有名私立がそうですね。幹部になれるかどうかは最終学歴、どこの大学の、どこの学部を修了したかで入社した時から決まってる、そうした暗黙のルールがあって。
さらには政治家や著名な弁護士のような社会に影響を与える側の人々も多くは難関大学出身者が目立ちます。
受験に合格することが立身につながる、これがため、親も子も塾に予備校に、となるわけですが。
塾、予備校に関していくつか負の側面、弊害をあげると。いわゆる、「親ガチャ」、首都圏の都心に住んでいて、親の年収が高くて、両親ともども、大学を出ている(受験の要領がわかってる)そうした人が圧倒的に有利です。
大正時代なら、それでよかったのかもしれない、しかし、大学進学が当たり前になり、受験が大衆化した現在では、この経済的、地理的、受験格差の是正は議論を避けるべきではないでしょう。
それから、児童の消耗。部活をこなしながらの塾通い、時に帰宅が夜10代や11時代になる、というのは10代を中心とする受験生には酷に過ぎるでしょう。
治安の問題もあります。例えば、塾帰りの女子中学生、夜間、路上で強制わいせつにあう被害が報じられます。強制わいせつは夜間の路上が多いのです。部活帰りでもありますが、それも併せて、夕方、夜間の活動は改めるべきでしょう。
また、親からの教育虐待の誘発、それに伴い発生する諸問題があります。兄弟間のイジメ、同級生のイジメ、万引きや動物虐待など問題行動、成長してからは親への暴力、さらには精神障害を発症する…
精神障害。日本に400万人の精神疾患者がいて、17万人が入院しているそうですが、入院者のなかには進学校、有名大学出身者が少なくないそうです。
私は提唱します。中高一貫校、中学受験、そのための塾。高校入試、そのための塾。大学入試での2次試験、大学入試のための予備校。これらは廃止にすべきだと。
教育の目的が試験で点を取ることに特化したのが首都圏の塾、予備校業界でしょう。学歴社会ならぬ、塾歴社会と揶揄されますが。
実際、東京大学の合格者数でいえば、首都圏の私立校が上位を占めています。しかし、興味深いことに、ノーベル賞受賞者の出身高校は地方の公立ばかりです。地方の私立も少しはありますが、首都圏の私立からは受賞者はいないのです。
点を取って、合格することを目指す教育、しかし、そこからは「人類の福祉に最も具体的に貢献した人」が現れない。
過去の記事でも書きましたが、学校の時間割は一コマ40分、4限まで、午後は生徒の適性に応じて自主的な活動をすべきでしょう。そのうえで、受験対策は例えば、スマホで講義動画を、問題集はPDFで配信し、それを生徒は自分に合うやり方で勉強をすれば、よいのだと。
受験は大学入試だけで十分です。それもセンター試験だけ。科目も学部、学科関係なく5科目、100点づつ、で。
現行の制度では早くから志望校を決め、それに合わせた対策をしている方が受験では有利になります。それはまた、受験の要領を知っている側が有利になります。つまり、塾通いや親の学歴に影響される。そうならぬよう、受験の仕組みはもっと簡素であるべき、と考えるのです。
「人類の福祉に貢献する人」そうした人材を育成するには、テストで点を取ること以外の何事かを大事にしないといけないはずです。それを涵養するのは豊富な読書の経験でしょう。
生徒の時間にゆとりを、大学入試を控えた高校生であっても、読書の時間をとれるよう。これからの教育の目的と役割を考えるとき、それが私の持論になります。
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