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共助の拡大のこと

不登校を考える時、最初は民間がフリースクールとして、不登校生の受け皿を担い、やがて、行政が適応指導教室として、後に続く。また、フリースクールから発展した私学が登場すると、行政は不登校特例校を設立する。

そして、最近の傾向としては、自治体がフリースクールと提携して、そのノウハウを公立学校の運用に反映させる取り組みを行っています。こうした教育の分野で民間と行政が補完しあう関係があるわけですが、福祉一般でもこうした関係を広く構築できないか。そうしたことをずっと考えています。

人生の各段階における共助、公助のこと


「就職して以降」
ある女性漫画家のエッセイ。30代のその方はメンタル崩壊寸前で実家に戻り、小康を取り戻す逸話を描いていました。彼女はまだ、親を頼ることができました。しかし、それができなければ…。

嬰児を遺棄し、出産した女性が逮捕される事件が後を絶ちません。そうした女性の背景には孤立と貧困があります。実家を頼ることもできない、福祉を頼る力もない、そうした女性が生活のため、売春をします。

すると、なかには避妊をしない男がいる、望まぬ妊娠をした女性は1人出産し、嬰児を遺棄し、やがて逮捕される。嬰児からすれば、誕生すら許されない。誕生と同時に捨てられてしまう。

本来、罰せられるべきは買春をした男でしょう。いっそ、全て男性のDNAを採取しておき、嬰児の遺体のDNAから父親を割り出してはどうでしょう。

少なくとも、嬰児を遺棄した女性は福祉、保護の対象であって、逮捕されるべきではないので、このあたりは刑法の改正を望みます。女性の国会議員が増えて欲しいと考えるのもこのあたりです。

「誕生から就学まで」

虐待死で多いのは0歳です。出産直後の遺棄。それから、就学までの幼年期。ありがちなのは女性とその幼い子供がいて、そこに母親の彼氏が同居している。その彼氏が子供を暴行を加え、死に至らしめる。

こうした女性、そしてその彼氏たる男性、どちらも機能不全家庭育ちでしょう。出産の時期、大抵は母親の実家、父親の実家、すなわち、子供の2人の祖母が出産前後の世話をしてくれる、そうした親族の共助があります。

しかし、それが望めない。子供の父親もその役割を果たさない。働かなかったり、失踪したり。女性のほうも親から愛されてこなかった。家のなかは物が散乱し、整頓ができていない。子供を置いて、男のもとにいってしまう。

こうした環境では虐待死、衰弱死が起きやすいし、たとえ、命を取られなくても、子供は不良化していく傾向があるでしょう。また、不良化まではいなかくても、その人の人生に生涯、心に暗い影を落とすものです。

「就学から就職まで」
この段階でも様々なトラブルがあるでしょう。父親が失踪、母親が失踪、両親ともども失踪。父親が不倫、母親が不貞、両親ともども浮気。夫婦間の葛藤、不和、DV。親から子への虐待。兄弟間のイジメ。経済苦。ヤングケアラーなど。

逆境にあっても、すごい結果を出せる方もいますが、機能不全家庭育ち、毒親育ちだと、多くのハンデを抱えて生きていくことになります。終生、心に負債を抱えながら、生きていくのです。

順調で仲のいい家庭ばかりではない、問題を抱えている家庭に育った子に心の負債を背負わせず、不幸の少ない人生を歩ませるため、育児の社会化、集団化を私は志向します。

託児所を併設したマンション。託児所のある職場。疑似大家族を形成し、家庭のことに逐一、介入してもらう。難しい話はNPOや公的機関がはいる。孤立している人をつくらない。

かつての社会であれば、地縁、血縁が機能しており、公助の役割を果たしていました。それが希薄化した現在では、行政による、公助の強化が求められています。しかし、行政は最低限のことしかやりません。

民間の介入と行政への働きかけ

福祉に関する予算は需要に追い付かず、物価の上昇に賃金が間に合わない。増える非正規。少子化が進みながら、高額な塾もある一方、子ども食堂が増えていく…。

行政がやることはあまりに希薄なため、家庭に居場所のない10代の保護やホームレスの支援にはNPOが活動しています。しかし、いかんせん、これらの活動は大河の一滴。

福祉から漏れる、NPOの支援も届かない、こうした人々を出さないようにするためには、地縁、血縁に代わるコミュニティを形成するしかないだろうと考えてます。

かつては宗教や政党がその役割を担っていたでしょう。地方から都市部へ出てきた若者を取り込んでいって組織を拡大してきたのが、共産党や創価学会公明党でした。しかし、それらの組織は時代の変化にそぐわなくなってきました。組織の上層部は変化ができなかった。

宗教や政党はコミュニティを形成する役割を担ってきた側面があります。また、社会的弱者のために活動してきた部分も確かにあるのですが、いかんせん、政党や宗教だとどうしても分断や排他性を伴ってしまいます。

思想、信条、理念、政策そうした個人の属性に関係なく、誰であっても排除せず包摂するコミュニティの創設。誕生から死去まで人生の全ての段階に応じて、関わる。嬰児の遺棄も高齢者の孤独死も発生させない。そうした、政党や宗教団体に代わる組織をつくれないか。

地域であれば、町内会が。学校であれば、PTAがあります。しかし、町内会は参加が任意ですし、PTAは参加こそ半強制ですが、活動が形骸化しています。全て、生活者を支援する、それも実態に即した現実的なコミュニティの創設すること。私の役割があるとすれば、そのあたりです。

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倉田隆盛
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