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「多様な生き方、暮らし方、働き方」のお話会 (北村たづるさん)
2024年9月24日、千曲市和かふぇよろづやにて開催した「多様な生き方、暮らし方、働き方」のお話会。
登壇いただいたのは、和かふぇよろづやの幸おかみ・北村たづるさんです。
多彩な活動をイキイキとこなしている北村たづるさんの原動力は何なのか、起業のきっかけや、働き方について、またご自身の暮らしとのバランスをどう取っているのかなどお話を伺いました。
2年間のアメリカ生活
大学を卒業して北野建設(株)へ入社し総務部に勤務していました。
学生時代の交換留学に始まり、海外が好きで社会人になってからも時々行っていたのですが、次第に旅行で短期間行くのではなく長い期間住んでみたいと思うようになりました。
そこで、海外に住むのは2年と自分で期限を決めて、5年間勤めた会社を退社してニューヨークへ渡りました。
「Hunter College of The City University NY IELI」という ニューヨーク市立大学(City University of New York)のHunter Collegeに所在する語学学校へ通いながら暮らしました。
しかし、語学を学びに来る人は日本やアジアの人がとても多く、なぜここまで来て日本人と一緒にいるのだろうと思うようになり、もっと外国の人と触れ合えるところへ行きたいと思ったのです。
でも、それほど英語が堪能なわけでは無いので、ただ話すのではなく技術的なことを学べる場所ならコミュニケーションを取りながら、英会話の勉強にもなるのではないかと思いまして、お花の学校へ行くことにしました。
ここには世界各国から女性だけでなく男性もたくさん来ていて、ジェンダーレスで過ごしやすい雰囲気でした。お花の業界は特に性差が無いということもあり、多くの男性が来ていたようです。当時の日本ではまだまだ男性は男性らしくというような雰囲気でしたが、世界ではもうジェンダーレスが普通だったのです。
お花の学校の終了後も、そのままいてほしいと言っていただいたので、そこでしばらく働いていました。
週末になると、友達とアメリカ各地をレンタカーで出かけました。日本からわざわざ来るにはすごく遠い場所にせっかくいるのだから、あちこち見ないともったいない!と思って、よく出かけていたのです。そのために国際免許まで取りました。
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そして自分で決めた2年が経ち、日本へ帰国しました。
帰国してからは、子どもを授かり、2002年に長男を2004年に次男を出産。
働きながら子育てをしていたので、いつも実家で子どもたちを見てもらっていました。次男は日大野球部に入り、毎日往復36kmの道のりを自転車で通っていましたが、「自分で行きたいと言ったのだから自分で洗濯しなさい」と言って、ユニフォームなどの洗濯物も私は手出しをしませんでした。でも、おばあちゃんにお願いしていたようですけどね。
今は24歳と20歳になりました。たまに東京へ行くと、食事を奢ってくれて頼もしいなと思います。本当に、子育てはあっという間です。
起業のきっかけ
2010年に「おやつ工房ままおーぶん」を立ち上げたのですが、実は起業しようと思ったわけではないのです。
きっかけは、子どもの通う幼稚園の謝恩会役員をさせてもらっていた時のこと。
謝恩会の最後に先生方へお菓子を渡して一緒に食べるというようなことをしていたのですが、前年までは市販の駄菓子セットのようなものを用意していたのです。
たまたま、私が役員をやらせてもらった年、「何か手作りのものの方が良いよね。誰かできる人いる?」なんて話が出たのですが、誰も作れる人はいないし、私も作れない。
でも、私は知り合いに作れる人がいたので「その人に聞いてみる?」と言ったところ、みんなが「詰めるのは一緒にやるから聞いてみて!」という流れになりました。
そこで初めて、「プレゼント用なのですが、どのような許可が要りますか?」と保健所に問い合わせして勉強することになりました。
その時は、販売するわけではなかったけれど、アレルギーのことやラベルのことなどたくさん勉強させてもらいました。
そうして無事に謝恩会は終わったのですが、その後もたびたび私の携帯電話に電話がかかってくるのです。
当時、お菓子を作ってくれた彼女はお店もなかったので、連絡先に私の携帯番号を記入していたので、私のところに電話が来るのです。
ドキドキして出てみると「とても美味しかったので、どこで買えますか?」なんていう嬉しい問い合わせ。
お菓子が本当に美味しくて、「美味しい」という感想もよくいただきました。それを作ってくれた彼女に伝えると、すごく喜んでいました。
あまりに美味しいと評判になったら、とある方が「会社を作ればいいじゃないか!」っていう言うのです。
ええー!?って思ったけれど、「お菓子を作る人はいるし、たづるさんの名前で会社にすればいいじゃない。明日名前考えてきて。」なんてどんどんと話が進んでいっちゃったのです。
それが、「ままおーぶん」。手作りお菓子のお店オープンの始まりで、それを運営していたのが株式会社彩雨陽(アマヤドリ)です。
そんな勢いで会社設立に至ったというわけです。
会社設立後も、私は作れないので、たくさんの人に手伝ってもらって、多い時は10人以上のママたちに関わってもらって作っていました。
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和かふぇ よろづやのオープン
手作りおやつの評判がとても良くて、驚いたことに販売先も、東急、セブンイレブン、Aコープと、どんどん広まっていきました。
セブンイレブンの方からお話をいただいたとき。
本部にお菓子を送って審査するみたいな流れだというじゃないですか。
こんな町工場みたいなところのお菓子を、全国展開の大手コンビニに置けるの!?と驚くばかりでしたが、不思議なことに話は進んでいくのです。
私の場合は、起業もしようと思ってしたわけではありませんでしたし、販路拡大も同じで、自分から何かをしようとしているわけではなくて、”何かが起こって、じゃあどうすればいいの?”と調べるという感じなのです。
ままおーぶんも順調に稼働していた頃、千曲市から空き家を活用して活性化をしてほしいというお話をいただきました。
お菓子を作る場所が欲しいからと見にいったけれど、厨房も何もないのです。
「ここでどうしたらいいのですか?」と問いかけると、助成金で厨房を作るように進めましょうという流れになりました。
「賑わい」と「女性起業」のサポート拠点となるような場所が欲しいということで誕生したのが「和かふぇ よろづや」です。
賑わいってなんだろうと考えた時に、女性が好きなのは「かわいい」「食べ物」「イベント」だよねということになり、これらを活動の軸にしていくことにしました。
私が”幸(さち)おかみ”、パートナーである青木さんが”福(ふく)おかみ”、二人合わせて”幸福”おかみといういイメージで、ランチを食べることもでき、人が気軽に集えるようなるような場所づくりをしてきました。
ランチを作るシェフはどんどん変わって日替わりで色々な料理が食べられるようになりました。それも、青木さんがイルルーナのシェフを知っていてつながり、さらにイルルーナさんから他の人へとつながっていきました。
私は何もできないので、お願いしているだけ。
色々な人の繋がりで人がさらにつながってお店が運営できているなと感じています。
私は「どうしましょうか」となげかける役割だと思っています。
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やったら楽しそうと思えるからやってみる
ままおーぶんの時は女性だけでやっていたのですが、(よろづやには)こうして男性の力とアイデアが入ることで、こんなにも広がりが生まれるのかと感じます。
よろづやでも年中行事的にイベントはやっていますが、それ以外別に店以外での活動も数多くやっています。
活動する際は”体験”を大切にしていて、「よろづや農楽学校」と言う野外活動も行っています。
子どもたちと棚田を借りて稲作りをしたり杏収穫体験をしたり、時には学生さんと商品開発をすることもあります。
”みんなで体験”、”没頭する時間”、”喜びを分かち合う”という三つを大切にした活動を心がけています。
こうした活動を8年もやっていると、関わった子どもたちが大きくなって偉い人になっていて驚くこともあります。そこでまたご縁が繋がって新たな展開になることもあります。
時間が経つと、目の前に見える景色が変わっているのがよろづやの良さだなとも思います。そう考えると、今までやってきたことは一つも無駄になっていないし、自分たちのためでなく誰かのためになっていると感じる瞬間でもあります。
着物を中心にした活動もしています。と言うのも、海外へ行った時に日本は何て美しいのかと再認識したのです。着物を活用してお出かけする他、地域の人とコラボして盛り上げる活動もしています。
例えば、小海駅が素敵なのに活用しきれていない。着物で出掛けて酒蔵へ行くイベントをやってみました。
海野宿でも、古い街並みがあるのに人が来ない。そこで、「着物イベントやりますか?」と声をかけると実現します。
やったら楽しそうと思えるからやってみるのですが、これは実験でもあり、種まきにもなっています。一度企画すれば、あとは、地域の人にバトンタッチできる。これもつながりだと思います。
仕事が好きなので、仕事も趣味もうまく交わっていることもありますが、着物を着て出掛けたり、お花を見に行ったり、外国の方とおにぎりを作ったりするのも、どこかに「和」というキーワードがあるか活動が多いですね。
仕事の仕方と大事にしていること
ここまでにもお伝えしました通り、私は何もできないのです。
色々やっているから忙しそうと思われがちですが、自分自身はそれほど忙しくありません。
とにかく、自分から起業しようとか事業を拡大させようということは考えていないのですが、いろいろな方からお話をいただくことが多くて、それが結果としてこのような形になってきただけです。
私の役割は、アイデア出しや組織の仕組みを作る、向かっていく方向を考えることです。そのためには、自分に余裕がないとダメなので、好きなことをして自分を楽しませることも大事だなと思っています。
温泉に入り、おいしいものを食べるだけでも楽しいです。さらには、場所や環境を変えると会ったことがない人と会うことができて新しいアイデアが生まれます。
最近は、ワーケーションにも出かけています。よろづやでもワーケーションの受け入れをしているので、自分でも体験しようと思ったのがきっかけですが、様々なところへ出かけると、すごく刺激になります。
魚津や富山、高野山など様々な場所へ出かけていきますが、今まで行った中でも魚津はウェルビーイングな環境がすごく進んでいます。
“誰かのために”と行動する人がすごく多い。そんな姿を見ていると、”誰かのために”は”自分のために”にもつながるなと感じて素晴らしいなと思います。
循環しているかを確認する
こうして振り返ってみると、私のテーマは「循環」だと思います。起業した頃から、循環してさえいれば大丈夫。
「人は人と生きてこそ人」なのです。どうしたらお互いが楽しくなって感謝と喜びがめぐる世界になるのだろうといつも考えます。そして、その先にはポジティブな感情が巡っている世界になるのではないかなと思います。
人も環境も物も全てが循環。
私もたくさん失敗してきたから、失敗してもいい。そこからどうすれば良いか考えを巡らせ循環させていく。
できていないこともたくさんあるけれど、なんでも口に出してお願いすることがだことが大事で、そこからまた循環が生まれていくのではないかなと思います。
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質問タイム:参加者の声とたづるさんの回答
お話会後半は、たづるさんのお話を聞いて、参加者の皆さん一人ひとりからの感想とともに質問をいただく時間としました。
Q.たづるさんにとって幸せとは何ですか?
北村(敬称略):ここにいられること自体がもう奇跡の塊で幸せ。今日も本当に幸せ。
Q.様々なことをされてきて、頼まれることをできないかもしれないと思うことはあるのですか?
北村:できるかできないかではなく、やりたいか・やりたくないか、それをやって幸せかどうかで判断しています。
私にはできないですよ。一人じゃ何もできない。これまでもそうでした。でも、みんなと一緒に解決すれば良いと思っているので、ここにいて楽しいと思えるからやっています。
Q.循環やつなげることが大切だと言うことですが、「つなげる」で意識していることはありますか?
北村:つなげようと思って繋げているわけではないですね。
私は、抜けているし、おっちょこちょいだから、何か抱えていると周りの人が察してくれて「どうした?」と声をかけてくれるのです。
困り事が専門的なら専門家に相談するってことにはなりますが、誰かがこうしてくれたからこうしようとか考えてもうまくいくものでもないから、思いつきでやります。
もう一つは、自分が自由人だから人のこともコントロールしたくないということもあって、それほど「つなげる」を強く意識しているわけではないです。
Q.これからの夢は何ですか?
北村:まずは、みんなが幸せになってニコニコしている世界であることですね。
よろづやのことで言うと、デジタル田園都市国家構想交付金に手を挙げたら採択いただいて、サテライトオフィスが入ることに決まりました。
みんなが元気になれて、人が循環する場所になりたいです。県外の人も入ってきて、様々な人が出会うことで化学反応が起きるのを今から楽しみにしています。
ご飯を食べながら地域課題の解決策を話していけるような会になって、みんなが幸せになれればいいなと思っています。