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木曽で話そう×暮らすroom’s vol.5 「多様な在り方が活きる場 ー学校、食、イタリアの暮らしー」
シリーズになっている木曽で話そう×暮らすroom'sもなんと5回目!
2024/3/19(火)13:30~15:30 @ふらっと木曽で開催された
「多様な在り方が活きる場 ー学校、食、イタリアの暮らしー」
ゲストに川本真理さん(料理人、ピアノ弾き、様々な場づくり)をお迎えしました。
川本真理さんの話
「多様性」とは、性別や年齢、国籍、障がいの有無、性的思考、宗教、信条、価値観などが異なる人々の属性を尊重する考え方のこと。
そういったことを踏まえ、川本さんの経験してきた多様性や生き方について伺いました。
こどものころー家族の仕事の多様性
父が環境を守る市民活動に参加していたことから会社を解雇されたため、両親は会社員と専業主婦という生き方を辞め、個人事業主をしながら、地域の環境問題に取り組む活動や子育て支援のNPO、平和運動、まちづくりなどに携わる多様な仕事や取り組みをしていました。
その中で子どもながらに、勉強してよい大学→よい企業に就職して安定した人生、という当時の主流な考えに疑問を持ち、型にはまることのない両親に影響を受けてきたと思います。
学生のころー多様な学び、多様な人たちとの出会い
公立高校を3年生の春に中退し、東京にある大検予備校兼フリースクールへ。
受験の勉強以外にも、様々な社会問題ー沖縄基地問題、在日韓国人、朝鮮人の方の歴史、ハンセン病問題、セクシュアリティなどの授業や、有機農業、音楽など、公立高校では学ぶことができないであろうことを得ました。
生徒は学校に来るにあたり様々な理由があり、先生、生徒、スタッフが多様であればあるほど、それぞれの生き方が誰かの居場所になると実感しました。
問題を抱えた生徒は精神科の薬に頼るのではなく、その関係性のなかで学び、成長していきました。
例えば、勉強もできないくらい辛い状況で、学校にも家にも居場所のない生徒が有機農業をしている畑に長く滞在している間に、心身が回復していくーそんな姿をみました。
大学生のころー社会問題を解決する会社との出会い
大学生のとき、オーガニック、フェアトレード珈琲の会社に出会い、お手伝いをしました。環境問題、労働問題を仕事をとおして解決していく姿勢に影響を受け、正しさではなく、美味しい、楽しいことを伝えるやり方は新しい運動の形と感じ、食の世界で働く動機となりました。
関東で仕事をしていたころー食の多様性を学ぶ
その後、東京のビーガンのカフェ、神奈川県鎌倉のオーガニックレストランで働きました。
菜食の美味しい料理を提供することで、お肉やお魚を食べる人も菜食の人も一緒にテーブルを囲める。何かを否定するのではなく、すべてを受け入れるための菜食でありレストランだったと思います。
イタリアにいたころー地域の食の多様性を守るイタリアのスローフード運動
イタリアで3年間暮らし、各地のスローフード運動に取り組むレストランで働いた経験をイタリアの写真のスライドを交えて話して頂きました。
スローフード運動とはイタリアで始まり、「美味しい、楽しい、正しい」をスローガンに、イタリアの各地域の伝統料理、在来種、有機農業、チーズ、ワイン、畜産などの生産者さんとその環境を守る運動のことを言います。
トリノの食のお祭りや、各地でのオーガニックマーケット、料理本の出版、食育活動など運動の方法も様々です。
スローフードのレストランでは、地産地消で、近隣の作物や伝統野菜を料理し、伝統料理を継承していく取り組みをしていました。
木曽に来てから
2018年に木曽に移住してからは、木曽の伝統の在来種の赤かぶ、乳酸発酵のすんきや蕎麦粉を使った料理やお菓子のレシピ開発をしたり、ケータリングでは地元のお野菜、お味噌や酒粕、山菜、鹿肉などを使った料理を作っています。(はらぺこ)
また、野菜やパンの生産者さんが直売でき、毎回料理人を呼んで美味しい料理が食べられるマーケットを仲間と開催したり、有機農家さんのお話会や種の交換会なども続けています。
料理を通じて、生産者さんと食べる人がより繋がり出会える場づくりを作りながら、今に至ります。
* * *
川本さんのお話から、ご両親の影響を受け、小さいころから多様な考えの中でそだち、多様性を受け入れる基盤ができていたことがよくわかりました。また、一般的な進路・就職のルートによらず、多様な学びの中に身を置いたことも、今の川本さんを形作っているのだと思いました。
世間の価値観に縛られることなく、多様なままで生きられる社会になってほしいと思いますが、まだまだ厳しいこともあります。
この会がいろんな人や取り組みを繋ぐ場として、その一歩になるのだと思い、これからも続けて盛り上げていきたいと思いました。