深煎り、ジャズ、いつも通りの日常 - Kurasu Small Talk #5
安心感とは、何でしょうか。
コーヒーショップで働く人の目線で言えば、例えばバリスタなら、いつものチームメンバーとともにコーヒーを淹れること。ロースターにとっては、日々のルーティンを崩さずに焙煎機に火が付いた瞬間。
もう少し一般的な例を挙げるなら、いつもの自転車で出勤する道のりとか。電車に乗って少しの間うたた寝をしても、目的地の駅に着く前に自然と目が覚める感覚——これらもまた安心感といえるのかもしれません。
いつも通りの深煎り
忙しなく過ぎていく毎日の中で、私たちの心に安らぎを与えてくれるのは「いつも通り」なもの。中の人的に、Kurasuのコーヒーの中で安心感を覚える豆の一つが、ハウスブレンドダークです。
安心するのは、日本の喫茶店でおなじみ、かつ夏の水出しも含めて年中楽しめる「深煎り」というのもあるし、ブレンドということも関係している気がします。数多いシングルオリジンコーヒーの中からどれを飲むか選ぶ楽しみ方もありますが、時には「とりあえずいつものブレンドでいいかな」と思うこともあるんです。
Kurasuのハウスブレンドダーク。真っ暗闇の中にほのかに見える赤く熟したチェリー、火入れによる甘さの中に隠れたエチオピアのフルーツ感。どこか、ダークチョコレートに包んだイチゴのような。そんなイメージがあるコーヒーです。
深煎りといえばジャズ
深煎りコーヒーといえば、なぜかジャズを思い出します。もちろん深煎りはパウンドケーキともよく合いますが、ここは少し背伸びして音楽との組み合わせを楽しみたいところです。
例えば、代表のYozoが動画「Jazz Kissa Chronicles: Yozo and Mother's Nostalgic Trip」(01:47)で紹介した《Left Alone》という曲。歌詞はざっと以下の通りです。
作詞は Billie Holiday(ビリー・ホリデイ)、作曲はMal Waldron(マル・ウォルドロン)。ウォルドロンは、1957年からビリーが1959年に亡くなるまで伴奏者を務めたピアニスト。残念ながら、ビリーは自分が作詞したこの曲をレコーディングをすることなくこの世を去ってしまいました。
以下の動画は、同じ曲をAbbey Lincoln(アビー・リンカーン)が歌っているもの。ビリーの描いた哀しくて孤独な世界が伝わってきます。
ジャズって「なんかカッコいい」と思っていつからか聴き始める、大人の階段のようなものかもしれません。中の人も物心ついたころにジャズ喫茶に通い出しましたが、通い続けて聴き慣れた曲が増えてくると、「なんとなくカッコいい」が「どうしてカッコいいのか」に変わっていくんです。その瞬間、憧れが好きになり、好きが嗜好に変わる。そして、気づけば大人になっているんでしょうね。
だから、ジャズに触れ始めた頃の「なんかいい」という感覚を窮屈に感じる必要はありません。それはコーヒーにも通じることだと思います。
Kurasuの代表Yozoが母の経営するジャズ喫茶でコーヒーに親しんだことは過去にもご紹介しましたが、いろいろなバリスタさんのインタビューをすると、サードウェーブ系のコーヒーショップで活躍されていながらも、コーヒーの原体験はジャズ喫茶だという方が多かったりするんです。
コーヒーを出すお店の「最先端」は、ジャズ喫茶からサードウェーブ系のコーヒーショップへと移り変わってきました。この移り変わりは、時代の流れとして捉えることも、文化の変容として見ることもできます。ただ、「Old-Fashion(オールドファッション)」としてのジャズ喫茶には、決して「時代遅れ」ではないカッコよさが今なお残っています。
染み入る「いつも通り」の安心感
中の人が三日坊主にならずにジャズにハマったきっかけとなった曲は、Chet Baker(チェット・ベイカー)の《I’ve Never Been in Love Before》。以下のような歌です。
聴くと、Chet Bakerのトランペットの音色が静かに心に染み入ります。この沁み渡る感覚は、ずっと歌い継がれてきたジャズや、余韻の長いコーヒーの甘さ、長年変わらない安心感のある場所やそこにいてくれる人に通じるものかもしれません。