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ミニマリストを徹底解説。美術の歴史からひも解く。

最近はミニマリストという言葉を聞くことも減ってきた。そもそもミニマリストっていつ頃流行り出したんだっけ?今日はそんな疑問にブームの始まりから解説していく。

2010年ブームの始まり。ジョシュアとライアン

ジョシュアとライアン

ミニマリストのブーム、それはアメリカに居るジョシュアとライアンという二人の青年がきっかけだった。彼らはある日、自分たちが何でも買える裕福な生活を送っているのに、全然幸せじゃないことに気づいた。

そんな時に、逆にモノを持たないチャレンジをしてみようとして始めたのがThe Minimalistsというブログだった。彼らはそのチャレンジを通じてモノ振り回される人生を変えようとしたのだった。これは、アメリカの大量生産、大量消費という物質社会へのカウンターカルチャーのようなものだった。

いつの時代にも、若い世代は親世代の価値観に反抗して独自の文化を作り上げる。それと同じでミニマリストはある意味、パンクやロック、ヒップホップのようなカルチャーを形成していく。

ミニマリストたちは純粋にモノを減らしていただけではない。彼らは彼らなりの美意識を追い求めている。例えば、黒いTシャツに黒いズボン。彼らの持つモノや服装は必ずと言ってモノクロの物が多い。カラフルなミニマリストっていうのは中々見ないのじゃないだろうか。また、スマホは必ずアイフォンを愛用している。

なぜ、彼らはモノクロを選ぶのだろうか?そしてなぜ、アイフォンなのだろうか?その答えは、ミニマリストの元となる美術の歴史が関係している。

ミニマリストの意味

ミニマリスト(minimal ist)という言葉。英語で見るとミニマルとイストの二つの言葉がくっついた造語であることが分かる。ミニマルは最小限イストはギリシャ語に由来する語尾で「~する人」とかの意味を表す。つまり、最小限で生きる人みたいなニュアンスの意味になる。

ここで疑問なのが、ミニマリストって本当に最小限で生きているのかな?というところだ。最小限で生きる人を想像すると、お坊さんとかホームレスとか、世捨て人みたいな人の方が適切なんじゃないかと思う。キリスト教の聖人の中には粗末な服1枚だけもって生活していたアッシジのフランチェスコなんかもいる。

聖フランチェスコ

でも、ミニマリストは現代のフランチェスコでもなければ、托鉢をしているお坊さんでもない。禁欲的な生活とは真逆のイメージを持つ。アイフォンを持ち、アイパッドを使い、カフェで仕事や勉強までしちゃうクールな人たちだ。

つまり、彼らは本当の意味での最小限主義ではなく、美術的なシンプルなデザイン(ミニマリズム)を生活に持ち込んだ人たちだったのだ。

ミニマリズムの起源

ミニマリズムの起源をさかのぼっていくと、マレービッチの描いたような単純な抽象絵画に行きつく。彼は1915年に黒の正方形という作品を描いた。

黒の正方形

この作品を見ると、絵画の要素が極限まで切り詰められていることが分かる。例えば、色や、線、形の複雑などすべての要素が極限までシンプルに構成されている。たぶん、これ以上この作品をシンプルにしろと言われたら、もう余白を塗りつぶすしかないぐらいだ。

このようなシンプルな作品を起源として、1960年頃にアメリカのニューヨークでミニマリズム運動が起こる。実は、この時アメリカでミニマリズム作品が流行したのは、当時流行していたポップアートが大きく関係している。

ポップアートのカウンターとしてのミニマリズム

1950年代、アメリカではポップアートというものが生まれた。ポップアートは当時のアメリカの価値観を深く反映している。大量生産、大量消費やハリウッドの華やかなショービジネスを反映したような作品だ。例えば、アンディーウォーホールのマリリンモンローなどは有名な作品だ。

マリリン・モンロー

この作品は版画で何枚も複製することが出来るようになっている。大量生産できる、かつショービジネスでの1番の成功者をモチーフにしているところが素晴らしい。ポップアートの代表作として今でも評価が高い作品だ。

このような大量生産、大量消費というポップカルチャーに対抗するように出来たのがミニマリズムだった。そして、それを支えたのは当時流行したビートカルチャーというものだ。

ビートカルチャーとZEN、そしてジョブズ



ビートカルチャーというのは1940-60年頃、文芸界で異彩を放ったグループだ。彼らは後のヒッピーブームの火付け役として知られている。特にジャック・ケルアックの書いた小説「路上」はヒッピーの聖典のように強烈に支持をされていた。ビートカルチャーの特徴はスピリチャル世界の探求や西洋と東洋の融合、そして物質主義の否定だ。この、物質主義の否定という所がミニマリストとも似ている点である。そして、彼らビートカルチャーを愛する人たちは日本のZEN(禅)にも高い関心を持っていた。

1960年頃になると、ZENと本のタイトルに入れるだけですぐ本が売れるというほどの熱烈なブームがあったのだ。こういった反物質主義的な運動に支えられる形でミニマリズムはアメリカで生まれた

そして、アイフォンの産みの親のジョブズもその文化の影響を強く受けていた。ジョブズはまさに1960年代のヒッピーブームの時に10代の青春時代を送り、1972年にはLSDを使用するほどその文化に夢中だった。さらに、ジョブズは1972年頃からZENにはまり、1974年には日本の禅僧から修行を受けるほど熱中していた。

ミニマリズムの誕生とアイフォン

1960年頃から徐々にミニマリズム的な作品が様々なアーティストによって発表されていく。そして、1965年にドナルド・ジャッドがエッセイ(特定の対象物)を出したことによってその運動が決定的なものとなる。彼の作品はただの工業原料をそのまま並べるといったような極限まで手を加えないものであった。

Table Object

例えば、このテーブルオブジェクトは建材を切ってそのまま並べたままである。このような作品でジャッドは作品を構成する要素をどんどんとそぎ落としていった。例えば、バラバラの要素をかき集めてなにかを構成するのではなく、「一つのもの」であることにこだわった。だから、彼の作品はきれいに整列している。また、素材も非常にシンプルな鉄である。

素材に過剰に手を加えていない要素をどんどんとそぎ落としていくという点がアイフォンと似ている。アイフォンは他に出ていたスマートフォンと比較して圧倒的にシンプルであった。例えば、素材(アルミ)をそのまま打ち出したかのような無骨なデザイン。最小限のボタン。OSから自社で作っているので認証したアプリ以外入れれないなど、そぎ落とすことで洗練させていった。

これはまさに、ミニマリズムのコンセプトを取り入れた携帯電話と言えるだろう。このように、視覚的にも美しいスマホは瞬く間にどんどん普及していった。そして、ミニマリストの必需品とも言える持ち物になったのであった。でも、ただ美しいだけだとここまでミニマリストは世界的ブームにはならなかっただろう。

彼らが爆発的に増えたのにはある一つの世界的ショックが関係していた。

2008年リーマンショックと片付けブーム

2008年、世界的な経済危機が起きた。リーマンショックというやつだ。このショックは世界的に影響を及ぼし、アメリカでは特に雇用の悪化、給料の低下が深刻に起こった。

日本でも日経平均を見てみるとそのショックの大きさが分かる。日経平均2008年6月6日14489円だったものが、2009年3月10日には7434円になっている。株を持っていた人は資産がおよそ半分になっていたのだ。

そうすると、世界的に少しでも節約して暮らしを安定させようという動きが出てくる。例えば、アメリカでローンで大きい家を買った人は次々に売って、安い小さめの賃貸へと乗り換えていった。当然、大きい一軒家からマンションなどに引っ越す場合はモノを減らさなくてはいけない

このような大引っ越しブームが追い風となって、モノを減らすこと自体が注目を浴びるようになってきた。例えば、日本でも2009年にやましたひでこの「新・片付け術 断捨離」が大ブームを起こす。また、2010年に発売されたこんまりの「人生がときめく片付けの魔法」は世界で1400万部以上売れるメガヒットとなった。

つまり、経済的状況から必要に応じてモノを減らす必要が出てきたことによって、ミニマリストという生き方自体が大きく注目を浴びたのだった。そして、何よりミニマリストは当時の20代、30代に非常に好意的に受け入れられた。

若い世代は両親の経済的困難な状態や、給料の上がらない社会を見ていたせいで自ずと何か大きいモノを所有するという事自体を避けていくようになる。そんな中、アイフォンなどの視覚的にクールで何でもできそうなガジェットを持つことは、親世代とは違うカッコ良さをアピールするにはうってつけだったのだ。

ミニマリズム(アート)のように極限までそぎ落としたモノクロの服を着て、ミニマリズムガジェットだけを持っている自分たちは他の生き方とは違う。もっと洗練されたアート的な新しい生き方であるという所で大きく受け入れられていったのだと思う。

だから彼らは、貧乏を良しとしないし、清貧でもない。幸せは追い求める。でも、視覚的にアート的カッコ良さにこだわるからアイフォンをカバーを付けずに使うのだ。これがミニマリストブームの一つの裏側だと思う。


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