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ミニマリストなのに日々の暮らしを整える3つの方法。設備と持ちモノを分けてみる。

10年前、私はミニマリストになった。

家にあるものは薄いエアウェーブと掛け布団、そしてソファーと音楽を聴けるオーディオだけだった。30平米のワンルームにポツンとある空間。家も広々としてすごく快適だった。何より、自分が解放された気がしたのだ。その生活のおかげで今でも海外にリュック一つでいけるし、買わないで何かモノを流用することで暮らす知恵がついた。

月日は流れ、今はテーブルも、ラグも、ベッドも、間接照明もある。もしかしたらもうミニマリストじゃないかもしれない。でも、実はミニマリストと同じぐらい自分の持ちモノは少ない。

持ちモノと設備の違い

ミニマリスト時代、私は必要最低限のモノ以外所有せず、それで満足していた。

ただ今になって当時を振り返ると、意外と自分が使っているモノは多かった。例えば、ユニットバスは当たり前に使うし、出窓をテーブル代わりにしていた。コンロも使うし、ホテルにあるような小さい冷蔵庫を使って料理もしていた。

これを考え始めたときに「ハッ」と頭に衝撃が走った。

私は充実した設備の恩恵を何の違和感もなく受けていたのだった。家にモノがあることがイヤだったのではなく、散らかった私の所有物があるということがイヤだったのだ。自分の所有物というのは個人的な結びつきがあるというモノだ。

例えば、タオル一つ取っても、自分が買いに行って、毎日使っているものは立派な所有物。このタオルがめちゃくちゃダサかったりするのはあまり嬉しくない。

じゃあ、スーパー銭湯で借りるタオルはどうだろう?でかでかとロゴが入ってお世辞にもおしゃれと言えない。そんなタオルでも何も気にならない人の方が多いと思う。むしろ拭き心地が良くて綺麗ならオッケーっていう感覚。

これが所有と設備という違いだと思う。何かを所有するというのは意外と手間がかかるものだ。服はきれいに洗濯して、季節ごとにクリーニングに出したりする。そこに愛着があるから一生懸命お手入れをしてあげる。でも、愛着の多いモノが多ければ、そして忙しくて時間がなければ、どんどんそれが溜まっていく。本当はかまってあげないのにかまってあげれないというのもストレスだったりする。

でも、設備というものはそうじゃない。誰かのモノで、使っている自分はゲスト。誰かのモノだから最低限きれいには使うけど、そこまでお手入れにこだわる必要はない。自分の家に置くには許せないものでも、衛生的に綺麗なら気にしないという不思議な現象が起きる。

人間の脳は無意識に自分のモノと他人のモノを分けている

人間は無意識に自分の愛着あるモノと他人のモノを分けている。思い出してほしい。全く同じ自転車でも、親からもらったその日からそれはただの量産品じゃない。

わ・た・しのモノなのだ。

子供の頃の宝物をみんな出来るだけ自分の手に届くところに置こうとする。せっかく買ってもらったのに田舎のおばあちゃんの家に置くなんて絶対しない。自分のものは出来るだけ身体に近いところに置いて、イヤなものは出来るだけ遠くに置こうする。モノと自分との距離が大切。

子供を見ていると面白いのが、お気に入りのぬいぐるみを自分の友達のように可愛がる。そして、時には本物のご飯をあげたりする(ヤメテ!)。

それだけ、人間の本能は身の回りに愛着あるモノを置きたいのだと思う。自分の身の回りという身体に最も近いテリトリーを自分なりの「心地よい」で埋め尽くしたい。これがミニマリスト時代の欲求の本質だったのかもしれない。

ていねいな暮らしを整えながらミニマリストする方法3STEP

私が極端ミニマリストを経て、ミニマリストとシンプリストの間のような感じに落ち着き、ちょっぴり「ていねいな暮らし」に到達するまでを3つのSTEPに分けて共有したい。

ベーシック家具を設備と考えて導入するSTEP1

シンプルな椅子と机。これはやっぱりあった方がいい、もし床スタイルが好きなら大き目のラグと低い机だ。でも、これを一生懸命選んで、よーし自分の持ち物として買おう!一生ものにしてやろう!と思うと色んな事が気になってきちゃう。

そうじゃなくて、家を借りると扉が当たり前についてくるように、設備として考えて導入してみる。つまり、引っ越しする時にはもっていかないけど、その部屋には完璧にあったサイズのモノを意識してみる。イケアでもいいし、無印でもいいけど、とにかく部屋のサイズに完璧にあったものを買って置く。本当にシンプルなものでいい。そして、引っ越すときは手放すのを前提に借りていると思うといい。そうすると家具に明確な目的ができて家具選びも楽だし、所有感もなくすっきりとした気分になる。いわば、買ったのは自分だけど、自分のモノという意識を手放しちゃう

自力で持ち運べるものにこだわる!STEP2

机や椅子、あと部屋にぴったりとあったイケアの棚とかは設備、シャワーとかと同じだ。引っ越す間取りによって買い替えるもの。でも、それだけだと寂しい。赤ちゃんがお気に入りのぬいぐるみを可愛がるように、私たちにも何かしらの愛着品は必要だ。それは人によってはアイフォンだったり、タオルだったり、ラグだったり、服だったりなんでもいい。でも、この特に大切にする愛着品は出来るだけ自分で持っていける範囲のものが良いと思う。例えば、棚にすごく愛着を持つと引っ越しもしにくいし、いろいろと大変だ。それよりも両手で抱えれるようなものだと、引越しも手入れも楽。そういったものは自分を豊かにするからある程度手に入れよう。

愛着品は性能ではなく、ストーリーで買うSTEP3

じゃあ、どんな愛着品を買おうかな。そうとなって、ネットショップを巡回しようとするかもしれない。でもちょっとまって!わざわざ今新しいモノを買う必要はない。暮らしをほっこりとさせる愛着アイテムに欠かせないのが自分とモノとのつながり。ストーリーの部分だ。例えば、旅行先でふと目にとまった手ぬぐいでもいいし、展覧会にいって買ったアクセとか。自分が何か動いて、使うと思い出がよみがえるようなモノが本当に暮らしを豊かにしてくれるモノ。モノとの出会い、いつになるかわからないけど、それを待ってみよう。

ミニマリストはサバイバルではない。自分の本当に所有しているのは愛着をもったモノだけにして、あとは設備として導入しちゃおう。修行のようなミニマリストからほっこりとした暮らしができるミニマリストへ!それは考え方を少しずらすだけで出来ちゃう。モノを捨てるのじゃなくて、大きな所有という意識を捨てることで出てくる余裕もあるのかもしれない。


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