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節約は突き詰めるだけじゃ不十分だった。豊かさって何なんだろう。【エッセイ】

生きていくうえで切っても切り離せないのがお金の問題。

私は年収150万円ぐらいの時代から節約術を極めてきた。今はもっと給料を貰ったけど、なぜか豊かになったとはあまり思えない。お正月休みとかでバライティー番組とかを見ていると、普通のおっちゃんが飲み歩きしている様子や、車をもっている独身の人が映っていた。

収入的には私も平均年収ぐらいはあるはずなのに、車も持ってないし、飲み歩きなんかもったいなくてできない。1回の飲み歩きとかで5000円とか1万円なんて使えない。

おっちゃんと私は何が違うんだろう。もちろん借金なんかないし、金融リテラシーもあるほうなのになぜか豊かさを感じない。むしろ、大学生の頃のほうが豊かな感じがしていた気がした。

豊かさは隣の芝を見て判断してしまう

豊かさっていうのは、人と比べて初めて感じれるものだ。私はフィリピンの3か月留学したことがあるのだけど、そこでの体験は強烈だった。昔の円の強い時代に行ったから、数万円でいいホテルに1か月泊まれ、買い食いをいくらしても日本の普通の生活費より数倍安かった。

食べたいときにレストランでご飯を食べ、ジムに行き、英語の個人レッスンを受ける。そんな贅沢をしててもお金の心配なんか一切必要なかった。そして、街に出るとやせ細った子供たちが遊んでおり、仲良くなった彼らにはよくアイスやジュースを買ってあげていた。

学生の身分なのに、フィリピンでは成功した金持ちのような振る舞いをしている。その時は自覚していなかったけど、今になったらわかる。物価と通貨の差によって強烈に自分自身の豊かさを感じていたのだ。

無意識に他人と比べて、彼らより経済的自由があったから感じれた豊かさである。フィリピンの例は極端な話だけど、人は誰しも誰かと無意識に比較しながら生きている。あの人みたいになりたい、ホームレスを見るとそれよりはマシな生活をしていると感じてしまう。そんなことを考えたくないのに、感じることは止められない。

学生時代の豊かさは親という支えによって得られている

それでも、学生時代は豊かなほうだ。なぜなら、生活のほとんどが親によって支えられているからだ。親の車を借り、お米を貰い、たまに服なんかを買ってもらう。お正月も親の作ったご馳走を食べる。

バイトをすれば自分だけの為に使えるから、自由に遊ぶお金は社会人より多かったりする。一般的には、税金等を引いた後に生活費として使えるお金のことを可処分所得(手取り)という。この可処分所得をもう拡張して考えると、学生と社会人は結構変わってくる。

例えば、社会人はスーツが必要で、ほとんどの人が一人暮らしをする。すると、家賃、光熱費、食費、仕事道具代、仕事の付き合い代、車の保険代などのお金が一気にのしかかってくる。さらに、自分のことはすべて自分でする必要があるから、そこから天引きである程度貯金をする。そのあとに残ったお金こそが本当に自由に使える可処分所得ということになる。

一方、学生の場合は仕事道具代や、仕事の付き合い、車の保険代などがかかってこない。みんなスーツなんかは親に入学の時に買ってもらったり、車も親のものを使わせてもらう。

車の維持費だけで言えば年間36万円程、仕事の付き合いの為のお金、年間4-5万程、仕事道具年間4-5万程などなど、すべて合わせると結構な額が親によって免除されていることになる。

すると、学生のほうが新卒の社会人や家族を持っている人よりも自由なお金が多かったりする。だから、学生の頃より収入があっても逆にあまり豊かに感じないのかもしれない。

さらに、学生の頃のコミュニティーはすごく狭い。ほとんどが大学生同士の比べあいだから、使える額が3倍も4倍も違うってことはあまりない。ある意味、みんな横並び。

自由なお金の多さと、比べる友達が同じような金銭感覚だから、お金に関してあまり考えなくても良い、すごく豊かな状態に置かれているのだ。

社会人は投資をしても豊かにはならない

他方、社会人はどうだろう。社会人はコミュニティーが爆発的に増える時期だ。上司には30代、40代、50代、そして60代までいる。彼らの年収は私たちの何倍も違う。さらに、他の会社などいけばもっと年収に差が出る。

学生の頃同じだった金銭感覚の友達も数年もすれば、一気に金銭感覚が変わってしまう。結婚、仕事環境、普段の仲間とか色んな原因で変化してしまう。すると、同じ金銭感覚の人のほうが少なくなってしまう。

とんでもない差の中で自然と上にいる人と自分の位置を比べてしまう。そうすると、豊かさなんかもはや感じない。

かといって、お金を増やすために投資をはじめると泥沼にはまる。投資っていうのはそもそもお金持ちが余ったお金を眠らさずに置いておくためにやるものだから、本当の金持ちと自分を比べてしまう。100万、200万単位の話じゃなくて、数千万単位の話になってくる。

そこにあるのは、さらなる金持ちとの無意識な比較が残ってしまうだけだ。すると、冒頭の私のようになる。投資とかにはお金を回しているものの、自由に使えるお金が少ないから豊かさを感じない

さらに、お金という価値観を中心に動くと、常に自分よりリッチな人と比べてしまう。だから、いつまでたっても隣の芝のほうが青いと感じてしまうんだ。いくら投資額を増やしてもずっと自分の芝より隣の芝のほうが青々としている。

人は無意識に人と比べながら生きていくことを認める

じゃあ豊かさを感じるにはどうすればいいのだろうか?はっきり言って、人と比べずに生きていくのは不可能だと思う。考えなくても、感じてしまうから。

でも、自分の中心軸をお金からズラスことが出来れば豊かさを再び感じれるのかもしれない。節約や、投資、お金のことを考えすぎるとそればかりに気を取られる。節約法とか貯金額は一度きめたらもう自動的にして、それ以上考えない。

それよりも、自分のスキル、人間性、人間関係の豊かさ、こういったものを自分の中心軸に置いて、人より良くしようとしていけば良いのかもしれない。

そして、数字で分かりにくいものを自分の中心軸に置いておくほうがいいのだろう。ちょっと曖昧なぐらいが勝ち負けや優劣を強烈に感じることが無くて、ストレスフリーなのかもしれない。


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