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奈良とくすり アレコレ

こんにちは。おくすりアドバイザーの井田です。

健康を願う人とくすりとの関りは古代より大変深い関係がありますが、多く
宗教の中や民間伝承、歴史書でその様子を確認することができます。特に奈
良にはその色合いが濃く、今回は以下その内容を順次紹介して行きたいと思
います。

<古代・飛鳥、奈良時代とくすり>
奈良時代の歴史書「日本書紀」には611年に推古天皇が宇陀地方で薬狩りを
されたという以下の記述があります。(巻二十二 推古天皇十九年、「夏五
月の五日に菟田野(うたの)に薬猟りす。鶏明時(あかつき)を取りて、藤
原池の上(ほとり)に集ふ。会明(あけぼの)を以て乃ち往く。」今でもこ
の宇陀地方には薬狩りの伝統に繋がる江戸時代からの私設の森野旧薬園があ
り、多くの貴重な薬草が栽培されています。見学可能ですので宇陀に行かれ
た折は是非訪れてください。この時代には日本古来の薬に加え中国から多く
の医術、医薬品が導入され、多く寺院と深い関係を持っていました。東大寺
の正倉院には光明皇后が奉納した六十種の医薬品が記録に残っています(奉
盧舎那仏種々薬帳)。また753年(天平勝宝5年)唐から鑑真が招かれて来朝
しその後唐招提寺を開きましたがその折「奇効丸」というくすりを伝え光明
皇后の病を治したという話が残っています。

<寺社とくすり>
奈良は日本の中心であったことから寺院、貴族を中心にくすりに対する関心
が強かったのですが、いくつかの寺院では寺内で伝承され調剤されたくすり
が求めに応じて提供されていたようです。法隆寺では五十三種の漢方薬の処
方を詳しく書いた鎌倉末期頃の巻物があり、興福寺でも有名な「多聞院日
記」の中に二十三種のくすりの名前が記載されています。また西大寺では僧
の叡尊が創成したと伝わる「豊心丹」という婦人薬があり、江戸時代の「大
和名産案内」にもその名前が紹介されています。桜井市にある日本最古の神
社と言われる大神(おおみわ)神社では毎年4月18日、「花鎮祭(別名:薬
まつり」が行われます。桜の花びらが舞い散る頃は、花びらと共に疫病が流
行すると信じられており、花を鎮めて災難・疫病を鎮め、無病息災を祈願し
ています。摂社の少彦名神社にはくすりの神が祀られています。

<大和の売薬>
一般の人々には江戸時代以降配置販売業により大和のくすりが全国に届けら
れました。以前は売薬とよばれていましたが配置員が直接全国の家庭を訪問
してくすりを預け、後に訪問した時に使った分だけの代金を頂くといった内
容です。この形態は「先用後利」とよばれるもので日本独特の販売形態で古
来奈良大和に加え、越中、近江等が配置薬の重要な地として知られています。大和の売薬のくすりとして代表的なものとして「三光丸」、「陀羅尼助」、「蘇命丸」等が挙げられます。(株)三光丸が御所市に「クスリ資料館」を開設しておられますので、和漢薬や配置販売業に関する理解を深めるのに大いに役立ちます。
クスリ資料館 株式会社三光丸 

<奈良県出身の主な薬業創設者>
・武田長兵衛:現奈良県北葛城郡河合町の出身。大阪道修町で武田長兵衛が
薬種仲買商の「近江屋」として1781年(天明元年)独立したのが始まりで、
その後武田薬品工業として国内トップの製薬企業に発展。
・藤澤友吉:奈良県宇陀の出身。1894年(明治27年)薬種商・藤澤商店を創
業。以後発展して藤沢薬品工業となり、2005年には山之内製薬と合併しアス
テラス製薬になっています。
・山田安民:奈良県宇陀出身でロート製薬創業(創業時名:信天堂山田安民
薬房)胃腸薬「パンシロン」や各種目薬で発展。また昭和40年には私財を投
じて「山田スイミングクラブ」を創設。
・津村重舎:ロート製薬・山田安民の実弟。津村家に養子に入り東京日本橋
に1893年(明治26年)中将湯本舗津村順天堂(現・(株)ツムラ)を設立。
以後医療用漢方が中心に発展。
・笹岡省三:1903年(明治36年)「命の母」売薬許可を取得。創業1905年
(明治38年)「命の母本舗笹岡省三薬房(現・笹岡薬品(株)」設立 長く
テレビ番組「おやじバンザイ」のスポンサーとなる。

<薬師如来>
“Healing Buddha”と訳されており、健康祈願、病気平癒の願いをこめて奈
良には薬師如来が多くの寺で祀られています。天武天皇が后の病気回復を願
って創建した薬師寺のご本尊の薬師如来が代表的なものですが、その他に法
隆寺、新薬師寺、興福寺、霊仙寺等の薬師如来が良く知られ、多くの信仰を
集めています。いずれの薬師如来も素晴らしい仏像で多くの仏像ファンを魅
了しています。

以上奈良(大和)とくすりに関する事柄を順次紹介して来ましたが、改めて
くすりと奈良という切り口で奈良を楽しんで頂ければと思います。

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