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普通って、なんだ?子育ての土台を作ってくれた場所

「普通」って、なんだ?
そんなことをよく考えるようになったのは、わたしの場合は長男が生まれてからだ。
なぜなら、長男の育児が全く思うようにいかなかったから。
子育てが始まってから、わたしの中の「普通」がガラガラと音を立てて崩れていった。

1歳半になると、母子手帳のチェック欄はまるで赤点覚悟の解答用紙みたいになってきた。
育児書なんて、理想論しか書いてないやないか!と早々に放り投げてやりました。ごめんなさい。

そんなわたしは、2歳検診で同じ月齢の子どもたちの様子に衝撃を受けることになる。
保育士さんが前に出て話すと、みんなママのお膝に座って静かに話を聞いているじゃないですか。
まだ2歳なのにそんなことできるんですか。
絵本は破る&めくるものではなく、ちゃんと"読むもの"として扱われている。

育児書通りに成長している子どもがそこにはたくさんいた。
ほんとびっくり仰天!
理想論とかいってすみませんでした。

面談では、赤点の母子手帳を見ながら、保健師さんがいろいろ聞き取りをしてくれた。
「お母さん、大変だったね、がんばってきたね」
と、眉毛を下げて語りかけられるのが、逆に落ち込んだ。
まるで、”できない子”に認定された気分だった。
今思えば被害妄想がすごい。

どうやら今の時点では「普通」の方ではないようで、そんな子が通うための親子教室を提案された。
「療育」というものだ。

料金はほぼ市の支援によるものだった。
その代わり、申込書には「障害児発達支援」という表記があった。

長男2歳、障害児?
え、そういうこと?
こんな書類にサインできない、と言っている親御さんもいた。
わかる。

でも、わたしと夫は腹をくくった。
今この子にできることを全部やってみようと。
そしてそこからの経験が、わたしの視野や価値観を大きく変えてくれることになる。
人生一番のターニングポイントと言っても過言ではない。

療育にはいろんな親子がいた。
現時点では、”普通じゃない方”であろう私たち。
普通の親子に見えても、それぞれが日常の中でいろんな困りごとを抱えていたのは事実だった。

中でも、癇癪に悩む親子はとても多かった。
公共の場では、周りから冷たい視線を浴びつづけることになる、最悪なあれだ。

しかし療育では、子どもが泣こうが叫ぼうが周りに謝る必要はない。
みんなお互いさまだし、学びのチャンスでもあった。
先生の力を借りながら子どもを見守り、その子の目線に合わせる。
一体なにに困っているのかな?
なるほど、これが苦手なのか、って。
療育は子どもを変える場所ではなく、理解する場所だった。

音や感覚に過敏な子や、見通しがつかないと不安な子も多かったから、それに対するいろんな工夫を学ばせてもらった。
どの対策も理にかなっていて、ストンと落ちた。

「苦手なことは気合いと根性で耐えろ!」でも
「苦手ならやらなくていいよ!」でもなく。
「これが苦手ならこんな対策したら少しずつでもできるかも」というとても前向きな工夫でサポートする。
普通かどうかなんて関係なく、わたしはこんな子育てがしたい、と思った。
まちがいなく、わたしの子育ての土台を作ってくれた場所になった。

そんな大変だった長男が、あっというまに中学生になった。

今が普通なのかどうか?
なんだかもうよくわからないけれど、努力家で優しくていい感じの少年になった。
わたしはひそかに療育のおかげだと思っている。

だからその頃の話もまた書いていきたい。

今日この話を書こうと思ったのは、療育での経験がのちに父との関わりで活かせることがあったから。
次回はそんなお話に続きます。

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