YOSHIKIさんの記事を読んで、あらためて思ったこと
もうずいぶん前のこと。
闘病していた頃に出会った人たちと仲良くなりました。
同じ境遇を持つ若者が、病棟の廊下でしゃべったり売店へ買い物に行くなどして交流を深めました。
身体の一部は無くなってしまったけど、病気を乗り越えようと、夜の外来の待合室でおたがい励ましあったりして。
そんな身近にいた人たちが・・・短期間に何人も居なくなる経験をしたことがあります。
自分自身もいつこの世から居なくなるんだろう。
そんなふうに思いながら過ごしてたけれど、「自分に負けないで」「彼ら彼女らのぶんも生きるべき」と励ましてくれた看護師の言葉がきっかけで前を向くことができました。
実際のところ退院してからのほうが試練は多かったように思うのですが、ありがたいことにそれでも僕はいまを生きています。
YOSHIKIさんの記事に書かれている『神は耐えられない試練を人には与えない』という言葉。
この言葉に出会ったのは闘病時代で、担当してくれた看護師の方から初めて聞きました。
そんなわけない。なんでわざわざ試練を与えるの?
そう思った。
試練の渦中にいると、人はなかなか理解できないものだと思います。
僕もそうだったから、そう思います。
それでも一応、試練を乗り越えたと思ってる僕にとっては、この言葉は生きていく上でたびたび迎える試練に向き合うとき、必ず思い浮かべる自分自身への大切なメッセージのひとつです。
あの当時の出来事は、ただただつらいことしか思い出せないけれど、僕が試練を乗り越えられたのは闘病中にお世話になった看護師の存在はとにかく大きかった。
でなければ自立はもっと遅れていたか、あきらめて自死していたか、身体のどこかに転移または再発して死んでたんじゃないかと思います。
くらしケアの理念の先頭に『看護の力』を入れたのは、闘病仲間や看護師の方々と過ごしたあの時代の経験、17歳のときの看護師からの励ましがまさに看護の力であり、今こうしていられるのも看護の力のおかげだから。
そのおかげで試練を乗り越えられたと思うからです。
地域には、いままさに看護の力を必要としている人たちがいます。
あのときの僕や家族のように、苦しみを抱えたまま出口の見えないくらしを送っている人たちがいるのです。
私たちは看護の力でそんな人たちに少しでも貢献したい。
そう思ってます。
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