短編小説 『秋雷』
その初老の女性は、秋雷を遠くに聞きながら1枚の写真を眺めていた。
女性は若くして結婚したが、子供には恵まれなかった。
子供への思いを捨て去れずにいた女性は、夫と相談し40才で養子を迎えることにした。
「アキ」という3才の可愛い女の子が、新しい家族として女性のもとへ来た。
女性は、心の底から幸せというものを感じ、アキを愛した。
家に来た当初、アキは女性に対し敵のような反抗を続けた。
それさえにも、女性は家庭というものの暖かさを感じていた。
小学校1年生の授業参観日の帰り道。
アキは「私のママは、おばあちゃんじゃない。」と言って、走って帰って行った。
女性は、その姿をぼやけた視界から消えるまで見守り、やるせなさと恥ずかしさから遠回りをして家へ帰った。
夫は心配そうに尋ねたが理由は言わず、
「ちょっと喧嘩しただけ。」とだけ答えた。
それからは、理由をつけ学校の行事には一切参加しなくなった。
思春期には、アキからの会話は喧嘩腰になり「ババア」と呼ばれることもあった。
本当の家族も思春期にはこんなものなのだろうと、女性は思い込むようなった。
そして、アキは大学進学のため家を出ていった。
夫も、しばらくして他界した。
葬儀の日、女性は娘の泣き顔を見てこみ上げてくる嬉しさを感じた。
大学の卒業式の日も、家事の忙殺に気を紛らわしていた。
いつしか、子供の成長は写真でのみ実感するようになっていた。
そして、アキは半年前に結婚した。
人々が集まれない時勢、結婚式は挙げなかった。
今日、新婚夫婦の写真が家に届いた。
女性は、一人穏やかに写真を見つめていた。
その手には、同封されていた一通の手紙が優しく握られていた。
子供からの初めての手紙が。
「お母さんへ。
初めて手紙を書きます。
今まで、本当の子供になれなくてごめんなさい。
お母さんのことを、“おばあちゃん”って言ってごめんなさい。
お母さんを深く傷つけてしまったのをわかっていました。
その時から、お母さんに近づくのが怖くなってしまいました。
本当は、もっとお母さんを私の物にしたかったのに。
今、私のおなかの中に赤ちゃんがいます。
女の子です。
私は本当の子供になれなかったけど、おなかの子は紛れもなくお母さんの本当の孫です。
生まれたら、無邪気にお母さんに抱きつくと思います。
その時はお願いですから、抱きしめてあげてください。
その日を心待ちにしています。
それじゃあ、お身体を大切にさようなら。
追伸
私も、もう25才になってしまいましたが、もう一度 お母さんの子供になりたい。」
静かな時間の中、
女性の涙を掬い取るように、
微かな秋雷が通り過ぎていった。