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【加筆再掲】ダリア

関係各所からの話で聞いていた通り、私が京都に来るきっかけとなった人の元には、既に綺麗なお花が添えてあった。

先日、東京に行った際に場所を聞いた。京都に戻ってから行こう行こうとしてはいたのだが、タイミングを逃し続けていた。

とある休日、ふと思い立った。午前中に仕事を片付けて向かう事にした。
何故か「行くなら、今日だろう。」と思ったのだ。

そんな気持ちで花屋へ向かう。

お花屋さんに仏花を見繕っていただいた。
近くにあった花が綺麗だったので写真に収める。
購入後に、お花関係の仕事をしている友人に「何の花か」と尋ねてみると「ダリアの一種」と返答が返ってくる。

花言葉はいろいろな諸説がある。ここでは「感謝」としておきたい。

本当はオレンジの花を入れたかったのだが、この夏の暑い時期には、あまり無いとの事だ。残念だ。


「お前がオレンジの服ばっかり着るから、俺のお気に入りのアウター着れへんやん。被りたくないやん、服って。」

彼は私を見つける度にそう言った。
大学のスタッフルームで朝っぱらから国内海外問わずデザインやアート本を読む私は、いつも彼に見つけられては声をかけられていたのだ。
そんな思い出がある。
# 私が卒業した大学の学科には、研究室は無くスタッフルームという場所があるのだ。

本文章は、加筆して再掲するものになる。
これを最初に書いた当時、お会いして10年になっていた。そして今、また時は過ぎていく。
あの夏の出会いがなければ、今、私はここにいないだろう。


*****


訃報を聞いたあの日。仕事でおつかいを頼まれて移動していた私は、思わず足を止めてしまった。フリーズしてしまったのだ。あまりにも突然の事に理解が追いつかない。

2人から別々に連絡をいただいた。

「君が一番に同世代と繋がってる。どうか関係者に伝えてくれ。」

予め決められたようなメッセージだ。
テキストで、電話越しの冷静な声で、そのメッセージが全身を駆ける。

「そんな大役...」と思いつつ、私はスマホを走らせていた。
まずは確認のために直属のコースの先生に連絡を取るのだが、繋がらない。
「会議中だろうなぁ」と考えてしまい、どうしようかと困っていた。
事が事だけに確認をとらないと動きたくなかったのだ。文字情報でなく誰かの声を聞いて確認する事で、自分の脳内を落ち着かせたかった。

時間は過ぎていく

3/31。年度末最終日にその連絡を受けた。
お通夜は新年度初日。4/1だ。
本当にエイプリルフールだったら良かったのに。

時間は過ぎていく

春先の年度が変わるタイミングだからさ。
情報の伝達が遅いと、人によっては会社を休んで来るのが難しいかもしれないなぁ。
どうしよう。どうしよう。頼むよ、誰でも良いから確認させてくれないだろうか。これは現実なのか、どうなのか。白昼夢だろうか。

時間は過ぎていく

先生は捕まらなかったが、助手さんと連絡が取れて確認が出来た。
そのタイミングで、私は自分の意思でコース全体に連絡した。
後で「勝手にやるな」と怒られたとしても良いと思った。
私は、彼がこの世にいないことが耐えられなかったのだ。
# 後にコース長とは連絡が取れて、事後報告をした。


そんな行動をした事もあり、お通夜当日に
「連絡ありがとう。知れて良かった。」
「SNSに投稿するのは間違ってる。ふざけるな。」
と集まってきた皆さんから散々言われる。

# 連絡はFBグループで行い、各代の代表に回してもらう。自分のFBタイムラインでも大学からの情報をシェアしていたが、指摘を受けたその場で削除した。軽率だったし不謹慎だったかもしれないが、当時の行動を振り返ると私には「伝えないといけない」という気持ちが強かった。周りのことを気にする余裕がなかったことを大変申し訳なく思う。


怒涛の2日間を過ごした記憶だ。
気持ちの整理がつかず、私は4/2のお葬式には行けなかった。お別れをするには、お通夜で十分だった。ただただ、早過ぎた彼の死を受け入れて、それぞれが自分なりに答えを出して前に進むしかない。
そういった記憶だ。


*****


結局思い立ったその日の内に行く事は出来なかった。
祇園祭とポケモンGOの影響で、墓地に行くためのバスはいつも以上にのろのろ運行。気付けばお寺は閉まっていた。

機会を改め、翌日の朝方、墓前に手を合わせに行く。
日が明るいとは言え、墓地をうろうろするのは少し怖い。

もう2度と直接会話をすることは出来ない。
私は彼にとって一生徒でしかなかったのだけれども、「生きている内にこの人に会えて良かったなぁ」と手を合わせながら思う。


私は
彼ほど

熱く
頑固で
照れ屋で
ロックンロールな

デザイナーを
教育者を
大人を

知らない


天国でもずっとデザインをしてるのでしょう。
見つかったら「な〜んだ、クラかぁ〜?」とニヤリと笑うんだろうな。
「俺が死んだらロックを流して」と昔聞いていたけれど、お通夜でUKロックが流れていてさ。本当に"らしい"と思ってしまったんだよ。

なんだかいろんな感情が混じって抑えきれなくなって、私は墓前で泣きながら、笑顔で話をしていた。
何故か目の前でニヤリと笑うその人の姿が見えてしまったので、「ゾエさん。まぁ、聞いてくださいよ。」とあの日のように会話をするように。


*****


今回、この文章を改めて加筆し再掲したのには、彼との思い出を風化させないのはもちろんですが、学生時代から彼に宣言していたことがあったのを思い出し、それも忘れたくなかったので、ボトルに入れて改めてインターネットの海に流してみることにしました。

私は、今、父の個展に向けて、本を作成しています。装幀やデザインについて、やいやい言ったり、その他のデザイン周りで父を手伝っているのです。
この姿を見せたかったのも報告したかったのも、他ならぬ彼でした。

私が彼と初めて出会ったのは、12年ぐらい前のことになってしまったけど、私の父もその場にいたのです。
高校教師と大学教授の2人が熱く語り合う姿は高校時分の私にとって、異様で面白い光景でした。「父同様、いやそれ以上の熱量を持った先生と共に時間を共有することが出来るなら、大学生活の4年間は確実に面白くなるだろう」という謎めいた確信を持ったのを覚えています。
在学中も事ある毎に「クラよ。お父ちゃんは元気か?」と声をかけてくださってたのが忘れられないです。


そんな経緯もあり、父が個展をすると言い出した20歳の頃、真っ先に彼に報告したのを覚えています。

「今、学んでることやこれから学んでいくことで父を助けたいし、カッコイイものを作りたい。本が出来たら、真っ先に先生に渡したいですね。どこで何をしてても送りつけますからね。」
「おぉ、それは楽しみやなぁ。ちゃんと報告しぃや。」

なんて、たわいもなく、話をしていた。


そんな記憶をふと思い出してしまい、「あの日の思いを忘れずにやりきらないとな」なんて思い直したわけです。送り主がいないのを少し寂しく思うけれど、何らかの形で届けられると良いなと。

彼ほどではないですが、入院・手術を経験して自分の中での死生観が変わったように思います。彼のことを思い出し、自分のことを振り返ることで、私もちゃんと燃焼して生き抜いていきたいなぁ、なんて思うのです。
「時」を溶かしすぎてはいけない。自戒の意も込めて、すこし認めてみました。



というわけで、私は相変わらずそんな感じですよ、先生。
楽しかったり哀しかったり嬉しかったり、いろいろあるけれど、あの日のままだと思います。
また来世でも逢いましょう。


過去掲載:http://kuraruk.hatenablog.jp/entry/2016/07/24/212705

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