"頑張る"の代替
先日、こんなツイートを発見してしまって。
「あぁ、たしかに。」と思うと同時に、「"頑張る"って思考を停止させてしまう言葉だな。」とふと思ってしまった。ようやく気付いてしまった。
"頑張る"はとても便利な言葉だ。相手を応援するにも、自分を鼓舞するためにも、やる気を表現するためにも。誰にも分かりやすく伝わりやすい一言。生まれてこの方、使いがちな一言。発言者も受取手も、ポジティブな一言として使ったり捉えたりすることがほとんどだろう。
ただ、"頑張る"に具体性はない。「闇雲な中、大変だろうけど、気合いで突き進んでいけ!」という気合・根性論なのだ。気合と根性は、大切なことではあるが、それだけで解決する物事は実際少なく、効率は悪い。
実際、自分が"頑張る"と発言した物事に関して振り返ってみると、進めることで精一杯で、本来あるべき飛躍の芽を潰していることが大概だった。自分を擦り減らして完結させることが、周りに負担をかけない最適解だと信じ込んでいた。その姿は、思考する暇もない暴走マシンのようで、何も考えず全てを犠牲にして進めることでしか自分は周囲に貢献出来ないと強制的に暗示をかけていた。
"頑張る"とは「我を張る」ということ。「自分の考え・意志をどこまでも貫く」ということ。ただ、その焦点が合っていなければ意味は無い。私は"頑張る"に頼り過ぎていて、本質はどういったものなのかなんてことは、とうの昔に分からなくなっていた。見ようともしなかった。見るという考えにも至らなくなっていた。
"頑張る"ことを繰り返していると、身体に病気が見つかった。私の中にあるそれは、メジャーな病気ではあり対処が確立しているが、未だに明確な原因は解明されていない。手術をすれば治るとは言えども、今回の件を"頑張る"という一言で片付けてはいけないと思っている。思考を停止させずにちゃんと解決したり、改善したり、次に進まないといけないと思っている。
私は、今後出来るだけ"頑張る"に頼らないようにしたい。とは言えど、"頑張る"の代替となる一言が思いついていない。自分が出来る変え方として、少し先の未来を思い描くようにしている。
「次にxxxxx出来るようにしよう。」
「終わったら思いっきり労おう。」
ということを考えて、言葉として吐く。そうすると自分がどうして行かなければならないかを考えることが出来る。思考を停止させないことが出来る。
今、抱えてる病気について「"頑張"って!」と応援されることは有難く受け止めているけれど、「ちゃんと終わらせて、美味しいものを食べられるように全快してきますね。」と返している。なるべく自分の中では"頑張る"を意識しない。終わった先を想像して発言する。発する言葉によって、意識や思考が変わるのならば、意識して"頑張る"の代替をしていきたいのです。
そんなことを実家に向かうバスの車中で暇つぶしに書いている。入院前に検査があるとは、思いもよらなかった。なかなか入院・手術は大変だ。
終わったら美味しいものを食べて戻ろう。朝から何も食べない状態になるから水分をしっかりとって凌いでいこう。生きるためには、タスクはまだまだたくさんだ。一山一山、ずんずんと乗り越えていきたいものです。