その日の朝は、久しぶりに会社に行く時間帯に起きた。明日から仕事始め。正午過ぎの特急列車で京都に戻るとは言えども、さすがに起きておかねばこりゃ辛い。
部屋を出ると、隣の部屋の弟の部屋から灯りが溢れていた。「弟は一足先に関西へ戻ったはずだ。まぁ誰がいるかと言えば、1人しかいないけど…」と思いながら部屋を覗き込む。
そこにいたのは、父だった。
想像通りだ。弟の勉強机で何やら作業をしている。
「父さん、何してるの。」
「…...屏風折の指示書模型作り。」
白い紙にカッターナイフを当て、スーッと音を立てる男を横目に、ベッドの上に積み上げられた文字の山を確認した。そうか、もう書き終わっていたのか。
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私の父は「書」を生業としている。この件については、今年露出する機会が増えるので、詳細は割愛する。
我が家の毎年のお正月の恒例行事といえば、専ら父の卒業証書作りであった。年末年始休暇を利用し、300枚強の証書達に墨を入れる。
「ご飯だよ〜〜〜」と正午過ぎと夕刻前に四畳半ほどアトリエにこもる父を呼びに行くのが私の役目。襖をこっそり覗いて、筆先に全神経を尖がらせ白紙を黒々と染めていく背を見て育ったのだ。
ただ、実家を離れてこの10年ほど、我が家を取り巻く状況は変わった。そりゃ、年を重ねれば状況は変わる。
アトリエでの作業は、子が巣立った部屋へ場を移す。
証書作りは、年を重ねるほど早く終わり、気づけば師走の行事へと変わっていた。この4,5年ぐらいは、年末年始休暇の中でその作業を見ることは出来なかった。今年が最後だと言うのに、その背を拝むことは無かった。
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久しく父の背を見ていないと思い、昨年の6月、字を書く姿を写真に撮らせてもらった。カバーにした画像がそれにあたる。
写真におさめられることを兎角嫌がる父だ。ましてや自分の作業風景なんかは特に嫌だっただろう。ただ、残しておかないと人は忘れてしまう。記憶を記録しておきたい。他の誰でもなく、私が知ってる父さんを撮りたい。そんな思いでカメラを構えたのを覚えている。私達、親子間には、祖父の姿を残せなかったという悔いがある。だからこそ、残したかった。
今回この文章を残すにあたり、撮った写真を見返していて、私はふと父の背を撮っていないことに気づいた。構図は対面するものばかり。今まで見たくてもあまり見えなていなかった世界だ。
どうして撮らなかったのかは、夢中だったので覚えていない。ただ、私は背を見る立場ではなくなったのだろう。年を重ねて、肩を並べる、向き合える立場になってきた。そんな風に思うのだ。
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話は戻る。
カッターナイフを走らせる父を見て言う。
「もう筆持たんの?」
「今回作る作品は、後1つだからなぁ。お前が戻る頃には、全部出来てるよ。」
「そっか。あぁ〜じゃあさ、一先ず今抱えてるやつ終わったらさ。また撮らせてよ、写真。」
「…そうだな。まぁ、早よ治して、招待状デザインしてや。まず、それからな。」
正月ボケで鈍った身体に少し電撃が走る。追いかけていた背は、こちらと向き合っている。
「分かった。じゃあ、あまり根詰めて突っ走らないよう。そのうちすぐに戻って、追いつくからさ。入れるように余白を持たせておいてね。」
手をヒラヒラと振り、部屋を後にする。カッターナイフの音は、紙を慎重に折り曲げる音に変わっていた。
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ぁ、そういえば。今日やっと、私の手術日程が決まったんです。
お昼前に母に電話して、父に伝えてもらうようにお願いしました。仲が悪いわけじゃないんです。お互いに面白い議論だけしておきたいので、身体というデリケートな話は、どうしても誰かを通さないと伝わらない。気恥ずかしいというか弱みを見せたくないというか。変ですよね、我が家。そんな意味でも私と父は、互いに子どもでソウルメイトなんです。
近々、休息宣言します。
休む、そして自分と向き合って前進方法を見つける。子ども心を忘れない大人でいるために、私は私自身を認めてあげる必要があるんだと、そう思っているのです。