かがみの近代美術館で出会った奇跡の絵画〜春日清彦・作「京城風景」〜
まずイントロダクションとして最初に紹介する絵は、佐藤清三郎・作「牛」です。
作者の佐藤清三郎は、故郷で銀行の給仕をしながら、生涯ひとりで絵を描いていた無名の画家でした。太平洋戦争終戦の年、昭和20年(1945年)に軍に招集され、33歳で戦病死しています。
紙に木炭で描かれたもので、佇んでいる動きのない牛を描いていますが、農耕に耐えてきた牛の体から、充実した存在感が強く発露されていて、無名だった画家の確かな画力が伝わって来ます。
作品を所蔵しているのは、岡山県北部、苫田郡鏡野町にある、かがみの近代美術館です。同美術館は、館長の辻本髙廣さんが、佐藤のような才能と情熱がありながら、不運にも若くして亡くなった夭折の画家の作品を中心に収集・展示している、高潔な志をもった施設です。
辻本館長は、とてもオープンなお人柄の方で、筆者が作品に見入っていると、所蔵作品一点々々の来歴について、館長自ら語って下さいました。お話しによれば、辻本さんのような、邪心のない使命感をもった人は、黄泉にいる画家達に導かれるような、奇跡的な体験を何度もされるようです。それはまた、よりいっそう使命感を強めるものとなり、今は、様々な事情で十分に評価されなかった画家の秀作を発掘するのにも、情熱を注がれています。
辻本館長は、そのような“発掘”したばかりの作品を特別に見せて下さいました。画像は、その作品である、春日清彦・作「京城風景」(昭和12年、1937年頃)です。
作品は長期間、展示されることなく、保管場所に埋もれていたせいか、額装が埃でかなり汚れています(絵は、汚れたガラスを通して撮影したため、くすんでいます)。
作者の春日清彦は、信州大学教育学部の美術教官だった人で、いわゆる無名の人物ではありません。生前は中央画壇に一切出品しなかっために、権威による作品の評価が定まりませんでした。死後に作品への評価が聞かれるようになり、地元の文化財団がいくつかの作品を所蔵するに至っています。しかし、1952年に逝去後、長い年月が過ぎたのと、作品数が寡少であるため、市井にあった作品は、価値を認められないまま、朽ち果てる運命にありました。辻本館長は、すんでのところで見切り品同然となったこの作品を見つけ出し、購入されたのでした。画商が査定したにもかかわらず、驚くほどの廉価であったそうです。
本作品は、現在の韓国・ソウル郊外を描いたであろう油彩画の小作品で、即座に惹きつけられるようなインパクトはありません。
しかし、じっくりと観ていると、緻密に組み上げられているのが解ります。
絵は、手前の草地・赤や白の屋根瓦の集落・近くの緑の山・遠景の尖った高山・空・・、と空間の奥行きが5層構造に描かれています。
手前の草地と近くの山が、緑の同系色で描かれています。集落の家々や道と、遠くの高山もまた同系の色合いで描かれて、繰り返しによるリズム感が出ています。そうすることで、最も遠景になっている空に余韻が感じられます。
嫌な感じはまったくなく、リラックスしてずっと眺めていたい、心安まる作品です。
さらに、しばらく鑑賞していると、作者の遊び心に気付かされます。集落にある家々の、赤い屋根と白い屋根の配置に、適度な乱雑さがあり、まるで新鮮な具材を混ぜ合わせた和え物料理のようです。
家々は、正面を向いた家と側面を向いた家とが入り交じり、側面を向いた家の屋根の尖った三角△が、スパイシーなおいしさを与えます。
家の屋根の三角は、また、遠くにある高山の尖った頂とも呼応します。
筆者は、自由な美術愛好家の立場なので、不躾なようですが、この作品の構造を、料理のメタファーで喩えてみました。画像は、たまごハムサンドイッチです。サンドイッチは、食パンと具材が多層を成しています。
絵の集落は、ゆで卵を和えた具材層に相当し、ゆで卵の黄身と白身とがマヨネーズで和えらた感じが、絵の集落部分と共鳴します。
絵の遠くにある方の尖った頂の高山は、ハムとマヨネーズを和えた層に相当し、ピンクがかった肌色の色調から、ハムとマヨネーズによる油脂の旨味が伝わってくるかのようです。
手前の草地と、近くにある緑の山と、最奥の空は、食パンの層に相当します。おいしさを逃さないように介在して包んでくれている感じです。
一見地味だけども、とても面白みがあって、筆者の妄想を掻き立てる、正にアート作品です!
作品は、今後、額装をセンスがよいものに変更されて、展示される予定だそうです。
追伸
辻本館長がその熱き思を込めた美術館の図録が発刊されました。図録は、美術館の受付で購入することができます。
*かがみの近代美術館・編:かがみの近代美術館「生きた証を見つめて」.かがみの近代美術館(岡山県苫田郡鏡野町奥津川西692, 2022.