願いが叶う理由
最近、やたら望みが叶って嬉しい限りなのだが
本当に嬉しくてたまらないのだが、
そこまで嬉しくないというか(うーん、表現が難しい)
望みが叶うことにそこまで執着してないというか
叶ったらもちろん嬉しいし、ばんざーい!なのだけど
それ以上でも以下でもなく。
(なんといえば伝わるのか。。)
これは一体どういうことなんだろうか?と
自分でもちょっと不思議で
「願いが叶って嬉しい!わーい!わーい!やったー!」以上。
的な自分に
以前の私ならもっと喜んでたし、もっと大騒ぎしたし
(今ももちろんするけど)
自分比では、以前と喜び度(喜び方?喜び具合?)が違っている気がして
うーん?どうした私?
ってなってて。
いや、嬉しいんよ、もちろん。
ものすごく嬉しい。
それは事実としてあるんだけど、
なんか前と違う自分がいるんだよ。
それについてぼんやり考えて
さっき、ふと思った答えは
「願いが叶うことよりも、自分の変化が嬉しい」のだ、と気づいた。
願いを叶えるためには
例えば誰かに聞いてみる、とか
お願いしてみる、とか
行ってみる、とか
何かしらの行動(ぽいもの)が必要なわけで
以前の私は、それがなかなかできなかった。
聞いてみよう、と思いついても遠慮して聞けなかったり
お願いしてみよう、と思いついても罪悪感でできなかったり
行ってみようと思っても、めんどくさい、お金かかる、とか理由をつけていかなかったりしてた。
今は、
聞いてみようと思った時、勇気を出してきいてみたり
お願いしてみようと思った時、断られるかも、とかいちいち思わずお願いしてみたり
行ってみようと思った時、エイヤー!で行ってみたりして
その結果、
願いが叶う確率がグーーーーーーーンと上がったんだけど
それよりも
「聞けた私すごい!」
「お願いできた!やった!」
「行けた!よかった!」
と
自分の変化の方が嬉しくてそっち側で大喜びしているフシがあることに気づいたのだ。
そしてふと思ったのは
「聞いてみようと思いついた時、その思いを潰さず聞いてくれてありがとう」
「お願いしてみようと思いついた時、その思いを潰さずお願いしてみてくれてありがとう」
「行ってみようと思いついた時、その思いを潰さずに行ってくれてありがとう」
みたいな感じで
「願いが叶うのは、ふと思ったその思いを潰さず実行したお礼」
なんじゃないかと、
ふとそんなことを思ったのだ。
書いてて意味不明。。
読み直してうまく言語化できてないことに途方にくれている、ナウ。
あ!思いついた!これかも!
願いが叶うのは「自分を信頼してくれてありがとう」のお礼なのではないか
と思った、ということだ。
私がふと思ったことを素直に行動しないのは
とどのつまり、自分への不信なのだ。
これは、自分への裏切り行為でもある。
逆に
ふと思ったことを素直に行動するとは
自分への信頼なのだ。
そりゃ嬉しいよね。
わたしは私を幸せにしたいと思ってるから
そのためのメッセージを送ってる。
それをふと、や、なんとなく、や、気になって仕方がない
という「感覚」で受け取る。
それを行動してもらえたら
イエス!ってなるよね。
そのお礼がとして望みが叶うのでは?という仮説。
でも、それよりも。
メッセージ受け取る→行動する
って
相思相愛じゃん!
幸せに決まってる!
で、こっちの方が願いが叶うこと以上に喜びなんだな、とそんなことを思った今日。
自分と相思相愛になったことのお礼(おまけ)が願望実現
とかやば😁