見栄っ張りな私
「老後の資金がありません」って、ほんとうですよ。
私なんて、老後自体要りませんよ。
自分がいなけりゃ資金もいらない。今死んだらお葬式代くらいはあるから、残された人に迷惑は掛からないのに。
私が子供のころは老後はこんなに長くなかった。
定年は55歳だったし、60歳から年金は支給された。
私は、もう年金で悠々自適に暮らせてるはずだったのに、まだ年金は微々たるものしか出ていない。
それなのに、見栄っ張りだから、生け花のお稽古もエッセイ教室もやめることが出来ない。
パソコン講座だけは障害者の福祉サービスで受講させてもらっている。
障害年金が受給できるほどの障害者でもないし、妹を介護しているから働きに出ることもできない。
なぜ、健康に生まれた妹が50歳で病気になって、脳性麻痺で生まれた私が介護する立場になるのか、となんど思ったことか?
これが神様が私に与えた使命だったのだろうか?
55歳で妹が病気が原因で歩けなくなった時、もとケアマネージャーだった私は迷いもなく介護保険の申請をした。
「骨折を伴う骨粗しょう症」という特定疾患があるから、二号被保険者で介護保険が利用できる。と考えて、入院先の医療ソーシャルワーカーに相談せずに、申請してしまったら、不審に思われてしまい、もとケアマネだと説明したら、病院での対応が変わったので、資格は「身を助ける」と感じた。
次は、障害福祉課で、障害者総合支援法の通院同行と移動支援サービスを申請に行ったら、介護保険優先です。と言われた。
「介護保険にないサービスは障害のサービスが使えるんですよね」と言ったら、他の人が「あなた、何してる人ですか?」と言ったので、「ただの家族ですが、もとケアマネなので、制度は理解してますよ」と答えた。
「知識は身を助ける」と思った。
だが、生け花が出来ても、ただお金がかかるだけで、生活にプラスになるとは思えないのに「やめます」と言えない。
見栄っ張りだなぁ、と思っている。
エッセイ教室は物書きになりたい私としては続けたいのだが、お金がかかることを考えるとやめたほうがいいのかなぁ、と思うが、きっと来年も続けるのだろうと思う。
聖書には「思い煩うな!」と書いてある。
その言葉を信じよう。