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これは、2年前「芥川龍之介恋文大賞」、一宮町長賞の副賞……💛💛
芥川賞には程遠いけれど、芥川龍之介が冠についている「賞」を2回いただいた。
恋文大賞のほかに「芥川龍之介ゆかり鯉文学賞」という小説賞を小説教室の先生が主宰していた同人誌『雲」に掲載された『猫屋敷の住人たち』でいただいた。
亡くなった小説教室の先生が、芥川龍之介ゆかりの旅館一宮館の離れ「芥川荘」の恋文の碑の前で、碑前祭を長年運営していたのが由来です。
先生の名前は「葉山修平」といって昭和34年に直木賞候補になっているそうですが、表舞台には出てきません。
講座のときは、経歴も学歴も関係ありません。「小説が書きたい人の集まりです」と話されていました。
「葉山修平」はペンネームです。
先生は母の小学校の同級生で、私の高校の先輩にあたります。
経歴を調べたら開成高校の国語の先生でした。
先生は、小説の語源はフランス語の「ヌーベル」で最初の小説はジャン・ジャック・ルソーの『懺悔』だと教えてくれました、が、私が『ベルサイユのばら』に書いてあった、といったら「あんたは変なことばっかり詳しいねぇ」といわれました。
私のは歯はおもしろいひとでした。子どものような人でした。友人に母の話をしたのが小説を書くきっかけでした。
寝たきりの友に笑ってほしくて母の話を書きました『かねさんのひだまり』です。
友もおもしろいひとでした。自費出版の出版費用を半分出してくれました。出来上がった本を「ドラマの原作にしてください」とNHKにおくりました。
送り返された、と笑っていましたが、本を出した次の年に亡くなりました。
私に文才がある、といってくれたのもその友達でした。
弱音を吐いたら叱られます。
何回落選でも頑張るからね、見守ってください。