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障害があると、その人が本当に優しいのか、見せかけだけか、わかってしまうことがあるのです。

今日の写真は、雨上がりの桜の木です。

私は脳性まひなので、子どもの頃からひとの目を気にしながら暮らしてきたから、本当に優しいひとかうわべだけか、というのはなんとなくわかります。

8月まで所属していた教会の牧師は後者です。

それは間違いないと思います。

神さまを信じていても、根本的な性格は変えられていないのだろうと5年近くの間に何度も思いました。

私は階段を何かを持って降りることができないので、お茶道具を持っては降りられないのでお茶当番はできません、といったら、それは役員が決めているから、役員に直接言ってください。といわれました。

だから、私は責任者は牧師である先生ですから、先生から伝えてください、よ言いました。

礼拝中に体調を崩した人がいても、ほかのひとに何の説明もしません。

ほかのひとが、気がついていないのなら、そのほうがいいと思いますがまわりで気遣っている人がいる場合は、なにか説明するべきだと思います。

礼拝は守らなければならない、と毎回言うから無理をしても来る人がいるのです。

私は、それは違うと思います。

私は母の葬儀に行けなかった妹を慰めたい一心で、毎週車椅子を押して教会に通いました。

半年間休まず行きました。

身体が悲鳴を上げて、車椅子が押せなくなりました。

でも、その間、一度も「お手伝いしましょうか」、という言葉は聞きませんでした。

「お祈りします」だけでした。

牧師は祈るだけではなく、行動してこそ神の存在を伝えることができるのだと私は思います。

クリスチャンの方や牧師に聞いてみたいと思います。

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