何がと、どうして
何事にも白黒が付くと思っていた頃、何がと説明できないままそれは悪だと反発することがよくあった。
でも今思えばそれはただの思い込みで、植え付けられた価値観だった。
何故と問われると言葉に詰まって、それでも悪いことは悪いとそればかりで。
植え付けられたものだったからこそ、余計頑なになっていたのかもしれない。
何が悪いという世間の基準ばかりを見ていたから、何故と踏み込まれると思考が停止して。
それでも正しいと信じてきたものを否定されるのは怖いから、明確な理由がないことを認められなかった。
つくづく自分というものと向き合えてなかったのだと思う。
たぶんでも、インターネットが流行る前はきっとそれが当たり前で。
生きづらいとずっと思ってきたけど、未来は暗いと思っていたけど。
自由に「わたし」を主張する人がどんどん増えてきていて、だから、そういう意味でのこれからは、もしかしたら明るいのかもしれない。
どうせ自己責任なら好きに生きたい。
自分の人生を気ままに、勝手に。
肩の力を抜いてふらっと。
なるべく、そうやって生きていきたい。
何が悪いじゃなくて、どうしてを考えながら、自分の価値観を見直していきたい。
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