当たり前レイヤー

起業家の人たちを見ていて思うのは、苦労した過去のある人が多いということ。そのままでは生きていけない現実があって、必然に迫られて何かを生みだす。

最近はあまり聞かないけれど、若い時の苦労は買ってでもしろという言葉がある。失いたくないものが増えると守りに入りたくなる。大人になればなるほど、失敗することは怖い。

それはきっと、一度手にしたものを手放す痛みのせい。何かや誰かと比べて、自分たちは恵まれているのだからと認識したとして。苦しいものは苦しいし、辛いものは辛い。

恵まれた環境を当たり前と感受してきた今を、作り変えることへの精神的抵抗は思う以上に大きい。
強制的にどん底へ突き落とされでもしない限り、恵まれた当たり前を自ら手放すのは相当に骨が折れるはずだ。

お金がなくなったなら身の丈にあった生活を。そう簡単に考えていたことがあった。これまでのちょっとした贅沢を控え、最低限のものに絞るだけなのにと。
ただそれは、下層から上層を見上げていたからの感想だった。昇るのは容易くとも、降りるのは想像以上に難しい。
社会的弱者からの声がなかなか届かないのも、こういった構造からなのだろう。

苦労は買ってでもしろというのは、順序がきっと逆転している。苦労なんてやっぱり出来るだけない方がいい。幸せなら幸せなままでいて欲しいとも思う。でも苦労する環境に身を置くことで、強制的に、自身が所属する当たり前レイヤーを下げる効果はあるのかもしれない。

失敗を恐れるなと成功者は言う。私自身もそう思う。けれど失敗が怖い人は幸せで恵まれた人なのだとも思う。

失敗はどうしたってリスクだ。そのリスクを取ってまで変えたいものがないのであれば、変われないのもある意味仕方がないと、最近ようやくわかってきた。

他者はなかなか変えられない。レイヤーを降りるのは激しい痛みを伴う。それを踏まえた上で、それでも、変えたいなら焦らず自分に出来ることをするしかない。

それが私の、現在の心構え。

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