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ハイデガー「存在と時間」を読む、準備

ゆる言語学ラジオでやっていた「本を読むコツを教えます」の回で、「興味のある分野を見つけ、自分の読書筋力に合わせたレベルから読み始める」と紹介されていたので、前からチャレンジしたいと思っていたハイデガーの「存在と時間」を読むための準備をしてみました。


今回選んだ2冊

今回は読みやすさと読み切れそうな本としてこちらの2冊を選んでみました。

1冊目はまんが形式で、町内会でのストーリーを通してハイデガーの考え方を紹介していきます。「現存在」「現象学」「頽落(たいらく)」などのハイデガー用語が散りばめられているので準備にはもってこいかもしれません。

2冊目は飲茶さんのハイデガー本。飲茶さんの本は外れたことがないので安心です。この本ではある王子を主人公にハイデガー的な教えをしてくれる老人との対話でストーリーが進みます。シンプルにストーリーとしても面白いので一気に読むことができました。

どちらもおすすめです。ここからは、ハイデガーの「存在と時間」を読むために、私自身がピックアップしておきたい内容を書いてみます。理解が乏しい部分や間違っている部分があるかもしれませんが、現時点の記録としてご容赦ください。

ハイデガーは「存在とは何か?」を哲学した

まずはハイデガーについてChatGPTに聞いてみました。

マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger, 1889年 - 1976年)は、20世紀のドイツの哲学者であり、存在論(存在についての哲学)に大きな影響を与えた人物です。彼の思想は、実存主義や現象学などの分野に深く関わっており、彼の主著『存在と時間(Sein und Zeit)』が特に有名です。

ChatGPT

それまでの哲学が、「神とは何か?」「人間とは何か?」「国家とは何か?」など対象を深く考えていたのに対して、ハイデガーは「そもそもその対象が存在するってどういうこと?」を哲学しました。
ハイデガーは「存在とは何か?」を考えるうえで「現象学=主観的な意識体験」を使っていきます。「現象学」自体はハイデガーの師匠であるフッサールが提唱したものですが、「自分とは関係なく存在する」という客観的な考え方から「自分が認識するから存在する」という主観的な考え方に活用していきます。これを存在論的転回といいます。

ここから「存在と時間」のそれぞれについてポイントを整理します。

「存在」のポイントはローランド思考

ハイデガーは「存在する」ということを「自分が認識するから存在する」としています。眼の前のパソコン・手に持っている本は私が認識するからそれらが道具として目的を持って存在している、という主観的な考え方です。

一方、客観主義においては、眼の前のパソコン・手に持っている本はアルミニウムやプラスチックや紙が形を変えて存在していると捉えます。そこには私が認識するかしないかとは無関係に存在しています。

そして主観主義においては、自分と他者を区別するために「自分が認識している自分」と「自分が認識している他者」という方法で区別します。これはローランドが言う「俺か、俺以外か」と似ている気がします。

ちなみに、「自分を自分で認識できるのは、人間が死と直面したとき」、つまり「自分が自分でしかありえない固有の存在であるということを問う」ことが人間であるとハイデガーは言っています。

ハイデガーは、自分自身をどのように認識するか?を強く意識していたのですが、このあとレヴィナスやアーレントなど様々な哲学者は「自分以外の他者」の視点の重要性を指摘しています。(おそらくハイデガーの存在と時間にも他者は出てくるのですが、あくまでも「自分を認識するための他者」「有限性を知るための他者」だったのではないでしょうか。)

「時間」のポイントは宿命

「死」というものを意識するとき、同時に「時間の有限性」を説いています。

通常私達は「時間」を未来永劫ずーーーっと続くものと言うように捉えていると思いますが、ここでも「自分の主観的な認識」を用いて、有限な時間として過去・未来・現在を表現しています。

過去は「自分の選択ではなく自分が投げ込まれた状況」でありそれらを被投性だとしました。それに対して未来は「何が正解かは分からないけれども一つの選択(意思決定)をする状況」でありそれを投企性としました。
そして現在を「何かしなければいけないと分かっていながら、目の前の忙しさにかまけて何もできない無力感」と表現しました。

かなり辛辣な表現ですが、「死を意識しないと自分を認識することできず、そのためには死を先駆的に意識する必要がある」というものがベースになっています。またそうしなければ「本来的な生き方」ではないとも言い切っています。

ハンナ・アーレントは、こういった「自分だけを認識することは全体主義につながる」として、「他者の視点」「他者との関わりの視点」が欠如していることを批判しています。

結局、分からないということが分かった

結局「存在とは何か?」「自分の人生とは何か?」ということは分からないということが分かった(自分の人生とは死ぬときに分かる?)、という内容です。なんというか哲学っぽい終わり方ではあります。。。(ちなみに「存在と時間」も上下巻のうちの上だけしか世に出なかったそうです。)

おわりに

個人的には、とりあえずハイデガーの本を買って手にとってみる準備(そしてその後のハンナ・アーレントまで読み進める準備)は整ったと思っています。もちろん、だからといって「存在と時間」が理解できるとは思っておらず、あくまでも手にとってみてもいいかな、スタートラインに着いたかな、という感じですw

最近は難しい本の読書を助けてくれる入門書があったり、解説の動画がYoutubeに上がっていたりして、ありがたい限りです。これをきっかけにまた積読を読み進めていきたいと思います。

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