サンリオのシナモンに救われた話
「ピンク色が好きなのは、ぶりっこ」。―――ずっとピンク色とかわいいものを愛することに抵抗があったけれど、サンリオキャラクターのシナモンのおかげで自分に正直になれた話です。
ぶりっこの呪いにかけられて
物心ついたときから、ピンク色が好きだった。ピンク色。桃色。桜色。かわいくて、見ているとあたたかな気持ちになって、全身がよろこびにあふれるような不思議な色。
親がピンク色とほかの色のおもちゃや服を買ってきたら、真っ先にピンク色を選んでほかの色は妹に押し付けていた。保育園のクリスマス会でピンク色と水色のコップをプレゼントでもらったときも、もちろんピンク色を選んだ。ピンク色はかわいい。水色はなんか冷たい感じがするし、あんまりかわいくない。わたしはとにかくピンク色が大好きな子供だった。
けれど、小学校に入学してマキちゃんという女の子に出会ってから私の好きな色は大きな転換期を迎える。
マキちゃんというのは私が人生で出会った友だちのなかで最も「ボス」という言葉が似合う女の子だった。マキちゃんはおでこをピカッと出した髪型がよく似合っていて、目が大きくてきゅるっとしていて、洋服はいつもナルミヤブランドだった。さらに芸能活動も少しかじってるといった風だったから、校内でのマキちゃんの影響力は物凄かった。
マキちゃんがこう!と言ったら周りの女子は必ずそれに従ったし、いつもマキちゃんのキュートなルックスをほめる取り巻きを2、3人引き連れていた。私とマキちゃんは家が近かったので、小学一年生の頃は一緒に登校していたものの、じきにマキちゃんがボスの頭角を表すにつれて彼女は遠い存在になっていった(むしろ、マキちゃんのほうから、内気で地味な私と距離をとるようになっていった)。
そんなボスのマキちゃんがある日こう言ったのだ。
「ピンク色が好きなんていうのは、ぶりっこの言うことだよ」
「私は水色が好き!」
今考えても意味がわからないのだが、かわいらしいピンク色を好きと言うこと=男子に向けて女の子らしい・かわいいアピールをしているという、そういうことなのだと思う。しかし、その日から、学年のありとあらゆる女子の好きな色が水色になった。そうだよね、ピンクっていかにも女の子~って感じでかわいこぶりっこの色だよね。水色はクールで爽やかでイマドキっぽい。それがみんなの総意だった。
マキちゃんの影響力はそれだけにとどまらず、当時流行っていたアニメ『ポケットモンスター』においても、彼女は、
「アチャモが好きな子はぶりっこ。私はミズゴロウが好き!」
と言い放った。
※同年代には伝わると思うのだが、当時放送されていた『ポケットモンスター アドバンスジェネレーション』に登場するポケモンのアチャモは、目がうるうるきゅるきゅるで、チャモチャモ~!と甲高い声で鳴き、ちょこちょこ動き回るような非常にかわいらしいキャラクター付けがされていたのだ。
そして、マキちゃんがミズゴロウのイラストを描き始めると、みんなも一斉に見よう見まねでミズゴロウのイラストを描く。マキちゃんは学年の女子にミズゴロウのイラストブームを巻き起こした。
これらのブームは当時の私にとっては本当に深刻な問題だった。私はピンクもアチャモも大好きだったのだ。
しかし、やはり水色とミズゴロウを良しとするマジョリティの勢いに逆らうということはマキちゃんに逆らうということ。それは集団から孤立してしまうこととほぼイコール。当時既に孤立しかけていた私にとって、それはなんとしても避けたいことだった。
私は幼い頃からの自分の「好き」を圧し殺し「水色が好き」な子になり、みんなと同じミズゴロウのイラストを描いた。
そうして、私は水色が好き、ピンクはぶりっこの色、水色は爽やかでクールで流行の色……と自己暗示のように言い聞かせていくうちに、身の回りの持ち物も水色のものが増えていった。これまでピンクを選んでいたあらゆるもの……筆箱や鉛筆、ノート、道具箱の中身のセロハンテープやはさみ。体操服袋や普段の洋服。少女漫画雑誌で選ぶ応募者全員サービスの付録の色まで。自分に選択権のあるものがどんどん水色、あるいはピンク以外の何かしらの色になっていった。「ピンクはぶりっこの色」。それはもはや私にとって一種の呪いだった。
ちょうど同じ頃に、些細なきっかけでマキちゃんの周りの女の子たちに「ぶりっこ」と陰口を言われるようになってしまっており、それが尚更「呪い」を加速させた。
身のまわりに自分の意思に反する色のものばかりが増えていく。あんなにピンク色が好きだったのに、気づけばそれを避けて水色やほかの色しか選べなくなっていた。それに伴い、第一印象で「ピンク色でかわいい」と感じるものを避けるようにもなっていた。
たとえば、当時流行っていた『たまごっち』でも、私はピンク色でかわいらしい「ふらわっち」ではなく黄緑色でのんびりやの「くちぱっち」を一番好きなキャラクターに「選んだ」。ふらわっちはやはりいいこぶりっこのキャラクターだという認識が女子たちの間でも普通だったからだ。くちぱっちを選べば、わたしはぶりっこではなくなれるとそう思っていた。
シナモロールとの出会い
しかし、そんなときだった。
株式会社サンリオのキャラクター「シナモロール」(以下シナモン)に出会ったのは。
どこでどのように知ったのかはもう覚えていないけれど、シナモンは私にとってかなり衝撃だった。シナモンは水色なのに、とてもかわいかったのだ。
当時水色や青色などの寒色のグッズは、男の子向けのものがとても多かった。
流行っていたナルミヤブランドのなかには、青色で女子向けのかわいいグッズもいくつかあったけれど、そういったものを買ってもらえる家ではなかったので、水色のグッズといえば乗り物のイラストが描いてある男の子向けのグッズなどの印象が強かった。だから、私も水色を選びつつも、実際はオレンジ色や黄色などまだ女の子向けに製造がされている色のグッズを持つこともかなり多かったと思う(とにかくピンク色を避けていた)。
そんななかで、シナモンは完璧だった。
「水色で」「かわいらしい白いキャラクターが描かれていて」「かといって、ぶりっことは程遠いような、全体的に爽やかな色調で」、私にとってはまさにうってつけの申し分のないキャラクターだった。私はすぐにシナモンのことが大好きになり、これまで味気なかった身の回りの持ち物を大好きなシナモンで固めるようになった。
ピンクじゃなくて水色だけど、それによってマキちゃんから身を守れるうえに、何よりもとてもかわいいという最高の武器を得たのだ。
いつでもどこでも、シナモンは私と一緒にいてくれた。シナモンの水色の文房具を使っていれば、誰もピンク色だ!ぶりっこだ!と私を攻めたてたりはしなかった。むしろシナモンの水色のリュックサックを背負っていくと、いいなぁと褒められることもあった。
学年が上がってクラスが分かれたことでマキちゃんとは疎遠になっていき、さらにシナモンとの出会いもあり、私にとっての色の問題は一時的に小さくなっていった。かわいいシナモンと出会ったことで、私は自分の好きな色が水色であるという自覚を完全にモノにしたように思えた。実は私は昔から水色が好きだったのではないか……?とすら思えた。もうピンク色が好きだった過去の私は、すっかり水色に染まったのだ。
持ち物とアイデンティティ
中学生にあがると、シナモン一色だった好みが少しずつ変化していった。
新しくできた友だち同士でショッピングモールに出掛けていったり、いろんなアニメや漫画と出会ったことで好きなものは増えたり変化したりを繰り返していた。アニメのキャラクターに影響されて、黒や紫などこれまで取り入れたことのなかったようなたくさんの色を身の回りに導入していった。
しかし、どうしてもピンク色のものだけは、手が出せなかった。
ピンク色の持ち物を持てば、また「ぶりっこ」だと揶揄されるのではないか。かわいこぶっていると思われるのではないか。ピンクはぶりっこの色。いかにも女の子~という感じで恥ずかしい。
私は地元から離れた中学に進学したため、もうマキちゃんような他人を揶揄してくるような子はいないはずだった。今でも付き合いのある仲の良い友だちもできた。それなのに、私はいまだにピンク色が怖かったのだ。
ピンク色のものを店先で見かけて、かわいいと手に取ることはあっても購入することはなかった。ピンク色のものが大好きで、それを自由にたくさん身につけて、似合う友人がいつも羨ましかった。私はいつのまにか、ピンク色を揶揄の対象とされることを恐れるだけでなく、さらに水色や寒色ばかり身に付けていた自分には似合うことのない色、「らしくない色」とまで思うようになってしまっていた。
あんなに大好きな色だったのに。
さらに、徐々にこの水色に関しても、私は「これはマキちゃんの色だ」と思うようになってきていた。私は自ら進んでこの色を好きになったのではなくて、マキちゃんに迎合してこの色を好きになったんだ。それならシナモンだって、マキちゃんから逃げるために好きになったのかもしれない。シナモンを好きになることで、私はマキちゃんがいなくても水色が好きだと、彼女の影響下になんてないとそう思いたかったんだ。
私は自分の好きな色がわからなくなっていた。シナモンだって、こんなマキちゃんの幻影から逃げるために私に好きになられるのなんて迷惑だろうとまで思ってしまった。私は少しずつシナモンから離れていき、この頃の私の持ち物からシナモンは消えていった。
それでも、ずっと体に染み付いてしまった水色からはどうしても離れられなくて、とりあえず「好きな色は一応水色です」というていで、鬱屈とした想いを抱えたままこの時を過ごした。
呪いからの解放 ~ふわふわシナモロール展~
結局私は高校を卒業し、大学に入学してしばらく経っても変わらなかった。
好きなイーブイの進化系を聞かれても、堂々とニンフィアと言えずにいつもシャワーズの名前を挙げていた。ニンフィアを好きといえば、きっと……と小学生の頃から少しも変わらない価値観を抱いたままだった。
そんな私に転機が訪れたのは2017年の春のことだった。サンリオ好きの友だちと誘い合わせて行った、「ふわふわシナモロール展」(松屋銀座)。
「ふわふわシナモロール展」とは、シナモン誕生15周年を記念して、キャラクターデザインの歴史紹介や原画、アートなどが一同に介したファンにとってはまさに夢の企画展。思えば小学生の頃は随分とお世話に……という気持ちで、懐かしさ半分・例の思い出半分など、私はいろいろな感情を抱えてこの展覧会に足を踏み入れた。
展覧会は入り口から既に圧巻だった。ふわふわのシナモンのぬいぐるみが壁一面に敷き詰められていた。かわいい。こんなにかわいい壁がこの世に存在する奇跡。埋まりたい。
そして、歩みを進めると、シナモンの歴史や過去のデザインが紹介されている。最初の頃の水色いっぱい、雲や空があしらわれた爽やかでかわいくて、シナモンらしいデザイン。ちょうど私が小学生の頃は、このあたりのデザインだったな、懐かしいなと思っていたところに、ある一文が目に止まった。
「この頃まで水色や青色のグッズは男の子向けのものが多くつくられていましたが、シナモンの登場はこれまで女の子たちになかった水色=かわいいという流行を初めて定着させたのです」(原文ママではないですが、こんな感じのニュアンス)
それはなんてことない、シナモンの歴史の一端の紹介だった。しかし、私はこの一文がやけに心に響いてきて、どうしようもなく、泣きそうになってしまったのだ。
私は、マキちゃんが怖くて無理やりピンクを嫌いになって水色を好きになり、シナモンと出会った。シナモンを好きになったのは、はじめはマキちゃんから自分を守るための「かわいい」が欲しかったからと言っても過言ではなかった。だから、私が小学生から抱えてきた「好き」の気持ちは全部マキちゃんに支配されたニセモノなのではないかと……水色もシナモンも、全部私の本当の「好き」じゃないのではないかと。ずっと思っていたのだ。
けれど、サンリオは、最初からシナモンを「かわいい」の「新しいかたち」として、水色をメインカラーにつくったんだ。その事実は私にこう語りかけてくるようだった。「あなたの『好き』の気持ちは、ずっとあなただけのものだったよ」と。
たしかに私はマキちゃんから逃げていた。けれど、水色を選んだのも、シナモンと出会ってかわいいと感動したのも、すべて私なのだ。これまでも、これからも、私はずっと私のまま水色とシナモンを好きだったのだ。
私はしばらくその場から動けなくなった。
おそらくサンリオの方は、シナモンに対してそこまで大きな意義や役目を持たせていないのかもしれない。けれど、私にとってシナモンは、マキちゃんの水色をどうしても愛せなかった自分への救いだった。シナモンが「水色をメインにした新しいかわいいの象徴」として存在していてくれたから、私は「かわいい」をすべて諦めなくて済んだのだ。
展示の歴史を追っていくと、シナモンは時代を経るにつれ、ピンク色やパステルカラーなど水色に縛られないさまざまな色のデザインで描かれていっていることがわかった。水色に縛られないシナモン。それがまた私にとってはかなり衝撃で、いつまでも水色に縛られてがんじがらめになっている自分が悲しくなった。けれど、シナモンは教えてくれている気がした。「自由でいい。ピンク色が好きでも、水色が好きでも、それは全部あなただけの『好き』だよ」と。
展示フロアを出る頃、入る前よりも心が少し軽くなっているような気がした。
自分の「好き」に正直になるということ
それから、私は少しずつピンク色に対する抵抗を減らしていった。まるでリハビリをおこなうように、少しずつ、少しずつ、ピンク色の雑貨や服、アクセサリーを買うようになった。かわいいと思うものを見かけたら、我慢せずにそれをかわいいと言う。かわいくて手元に置いておきたいものは、ちゃんと購入する。周りの目は気にしない。
それが功を奏してか、今では好きなポケモンのタイプを聞かれても真っ先にフェアリータイプと答えられるようになったし、ニンフィアが大好きになった。けれど、私がピンク色を身につけても、ポケモンのパーティをフェアリータイプで固めても、もう私の周りには誰もそれを笑う人はいない。もしかしたら、もうだいぶ前にそんな人たちはいなくなっていたのかもしれない。私がそれに気づくのが、少し遅かっただけで。
もちろん水色も相変わらず好きで、シナモンも大好きだ。最近はシナモンとコラボしたサンリオのウィッシュミーメルといううさぎの女の子もかわいいと思えてきている。メルちゃんのメインカラーはピンク色だ。過去ではなく、すべて自分の意思で。私は自分の好きな色と好きなものを選びとれるようになった。
マキちゃんとはもう連絡をとっていないので、今彼女が何をしているのかはわからない。ただ、あのとき「水色とミズゴロウが好き」だと声高に主張した彼女も、学年女子のカリスマとして、もしかしたら無理をしていたのではないかと……強い個性を出すために、インフルエンサー的にあえて新しいことを発信したのではないかと、最近は少しそう思うこともある。マキちゃんと話す機会はもうないだろうけれど、私はマキちゃんにも自分の、自分だけの「好き」を大事にしてほしいと、今ではそう思っている。
そして、私に大切なことを気づかせてくれたシナモンとサンリオには、感謝しきれないほど感謝している。