「ラムピリカ」物語ーー江ノ島近くにある幻の喫茶店
最近、江ノ島の近くにある「ラムピリカ」(アイヌ語で、美しい精神の意)という喫茶店に通っている。海から10分くらい歩いた住宅街のなかで、畳の部屋にソファが置かれていて、子連れのお母さんの姿もよく見かけるほど、のんびりとくつろげる空間だ。
数年間、熟成させてから焙煎した「オールドビーンズ」のコーヒー(各種ストレート)は、苦味が効いた深い味わい。人気メニューの「有機全粒粉のふわしゅわパンケーキ」は、表面はカリッ、中はふわふわの食感で、ちょっとした秘密の楽しみがあり、ちまたのパンケーキファンを唸らせている。
先日、「あたたかな決意」で生きる話〜対談キャンドルナイト in 江ノ島〜 というイベントに参加した。そこで聞いたことを元に、ラムピリカの物語を綴ってみることにしよう。
病気をきっかけに気づいたこと
ラムピリカの店主・千秋さんは、2011年まで小学校で図工の教員をしていたが、業務が忙しくて、過労でうつ病になってしまった。休職したあとも、2年間は何もできなかったそうだ。
「自分がどう生きていったらいいのかわからず、無気力な日が続きました。そんなときに、心療内科の先生に『自分のわがままを貫きなさい。やりたくないことはやるな』と言われて、何かがふっきれた気がします。それまでは、一番苦手で嫌悪していたのが「怒ること」だったのですが、先生に「まずは怒る練習をしなさい」と言われ、自分の怒りを敏感に拾ってノートに書き留める練習を続けました。療養中にそれを繰り返した結果、不思議なことに怒り以外の感情、喜怒哀楽の色がはっきりとし始めて、自分が好きなことを『好き』と、嫌なことを『嫌』とやっと言えるようになったんです」
千秋さんのお母さんは、世間体を気にするタイプ。近所の目が気になるからと、ささいなことで注意された。いい高校やいい大学に進学して、いい会社に就職してほしいと思っていたようだ。お父さんは一流商社で取締役になるほどのバリバリの会社員。その代わり、帰宅すると酒を飲んで暴れたり暴言を吐いたりするようなことが多かった。
「私にとって、二人とも怖い存在でした。家にいても安心できず、いつも緊張している感じでした。でも、うつ病になったことで、自分自身のことを見つめ直すことができたし、両親も、生きていてくれればいいから、好きなように生きなさいと言ってくれるようになりました。世界でいちばん苦手だった親が、今は大好きです」
自分は何が嫌いで、何が好きなのか⋯⋯。病気をきっかけに、千秋さんは意識的にそれを表現するようにしてみた。そして、自分の好きなものや好きな人たちに囲まれて、時間に追われることもなく、心地よく過ごしたいという本心に気づく。
シングルマザーとして子どもを育てながら、また多忙な学校に戻る自信はなかった。子育ても家事も仕事も同じ場所でできたら。そのうえ、自分の人生でやりたいことや好きなこともひとつも諦めたくない。実現するためにはどんな仕事ができるだろうかと考えているうちに、喫茶店を開くことを思いつく。
昭和の長屋を自分でリフォームする
「店舗可の条件で、あちこちの不動産屋さんを回りました。当時はまだ病気が治っていなかったこともあり、元気があって出歩けるときに周囲をぶらぶら探しました。そんなときに、足が向くことの多かった江ノ島の近くに、昭和の二軒長屋が両方とも空いている、この物件に出会ったんです」
すぐに不動産屋を訪ね、一方を店舗に、もう一方を住居にすることで、まとめて借りることにした。借りたときは、ごく普通の民家だったので、押し入れを壊してカウンターテーブルを作ったり、棚をしつらえたり、床の間に天井を貼って雰囲気を変えてみた。
ふすまと障子で4部屋に仕切られていたが、仕切りはすべて取り払い、開放的な空間にした。玄関を入った左側には、古い額縁を不規則に組み合わせた内窓がつくられている。リフォームは友人にも手伝ってもらったそうだが、ほとんど千秋さんが中心に作業したというから驚かされる。
「DIY経験はあまりなかったんですが、元々、図工の先生をしていたのが幸いしました。子どもたちに教えるために、ノコギリや電動工具の使い方を勉強しなおしていたので、なんとかなったんでしょうね」
喫茶店を開くことを決めると、リサイクルショップを訪ねたり、オークションを検索して、カップやお皿、照明器具を少しずつ揃えていった。友人たちも不要になったものを送ってくれた。「開業資金はなかったけど、時間だけはたっぷりあったから」と、千秋さんは振り返る。
“普通の喫茶店”って何?
準備期間を経て、2015年1月にオープン。しかし、飲食店経営の勉強をしたことはない。接客業の経験は学生時代のバイト程度。最初は、お客さんにコーヒーを運ぶときに、カップ&ソーサーを持つ手が震えていたという。
「これ以上、やりたくないことはやらない。やりたいことをやりたいときにやって生きていく。自分が好きに生きること、最高にリラックスしてるときにだけ珈琲を淹れ続ける。そのことで起こることを見てみたい。きっと、いい空気が生まれる気がする」
そんな思いがあって、最初から「開店したいときに開店する」というスタンスだったが、それでも開業当初はなるべく週末は開店するようにしていた。そんな事情を知らないお客さんには、「もっとちゃんと、毎日営業してください」と怒られたそうだ。それでも千秋さんは、自分の感覚と合わないお客さんに「もう来なくていいです」と言うこともあった。
「さらに当時のパートナーにも、経営目標を立てて事業計画をしっかり決めないダメだと怒られました。自分が常識外れだということはわかっていたけれど、それでもラムピリカでやりたいことや、私の心からの願いをシェアできる仲間が身近にいなくて、『どうしたらいいんだろう?』と悩みました」
もう、普通の喫茶店として営業したほうがいいのか、もしくは普通の飲食店経営は向いていないからお店を閉めてしまおうかと諦めかけたときに、Facebookでシェアされていた記事が目に留まった。「いばや通信」で注目されている坂爪圭吾さんが、無料の喫茶店をつくりたいと書いていたのだ。
「いばや」の由来は「ヤバイことをする」からきている。当時、坂爪さんは家を持たずに自分を“フリー素材”として全国の人たちに使ってもらう活動をしていた。既存の概念をひっくり返すような、新しい生き方に共感する人たちは着実に増えている。(参考記事/悲壮感ゼロ! “家なし生活”を満喫する人たちが増加中! むしろ勝ち組(!?)な新人種「積極的ホームレス」の生態!!)
世の中は、サービスを提供する側と受ける側がいて、お金の交換で契約が成り立っている。坂爪さんは、もっといい循環の仕方があるのではないかと考えていたのだ。
図書館みたいな、宿泊施設も兼ねる喫茶店のようなものをやりたくなった。基本的な使用料金とかは完全に無料で、珈琲もタダで、料理もタダで、欲しい本があればあげるし、なんなら泊まってくれたひとには百円あげちゃう場所をつくりたい。有志を集めたら、実現できるものなのだろうか
【NRT-神奈川】永遠にそのままで行け。 - いばや通信
「それを読んで、テンションが上がりました。江ノ島で喫茶店をやっているけど、普通の経営ができなくて困ってる、何かもっと新しい可能性の話をしたいと、すぐにメッセージを送りました。その結果、坂爪さんと『喫茶店の未来を考える』というテーマで対談することになり、それから“何か”が始まったような気がします。
そのあとは、自分の周りに集まる人のほとんどが、坂爪さん繋がりになってきました。私の大切にしたいことを、言葉を尽くして一生懸命説明しなくても『もうわかってくれている』仲間。『一緒にやろう。一緒に遊ぼう!』と言ってくれる仲間が圧倒的に増えました。
自分ひとりだけだったらここまでできなかったし、あのままだったら1年も持たなかったかもしれない、と思います。2015年11月に、私はやっと、私の味方を見つけたんです」
自由料金には、お客さんの優しさが含まれている
普通の飲食店と同じことは誰でもできる、ラムピリカでできることって何だろう? そう考えた千秋さんは、休みが不定期な「不定休」ではなく、気が向いたら営業する「不定期営業」というスタイルを貫くことについて「このままで行こう!」と心を決める。「好き」や「want(開きたい時に開く)」だけで生まれる空気を派生させていくこと。これがきっとラムピリカの役割だ、と考えた。
「自分の気分がいいときに、好きなことをやる。嫌なことは絶対にしない。それを貫いてみようと思いました。それでお店がつぶれたら、それまでのこと。自分がわがままでいることで、周りの人たちがどう感じるのか、どんな変化が起こるのか、それを見てみよう」
実は、ラムピリカのメニューには値段が書かれていない。お客さんは好きなものを注文し、帰るときに好きな金額をドネーションボックスに入れるシステムになっている。お金を入れずに帰っても気づかれないくらいだし、誰がいくら払っているのかさえ、店主の千秋さんにはわからない。自由料金にしたのは、2016年の秋ごろから。そのきっかけは何だったのだろうか?
「私は、原価計算をするとか、新しいメニューが出るたび値段を決めるとか、きちんとお釣りを用意しておくとか、そういうことにときめきを感じることができませんでした。正直に言うと億劫でなりませんでした。だから、その手間を全部すっ飛ばして思い切って『自由料金』にしてみたらどうかな? と考えて、どうなるかわからないけど、実験的にやってみよう。ダメだったら、いつでもやめればいいと思って始めました。
お金を入れないで帰る人がいるかもという不安はありましたが、それも自由料金のなせる技。ざわざわする気持ちも味わっていこうと決めました。
だけど不思議なことに、料金設定をしていたときよりも入ってくるお金が増えた気がしています。ラムピリカに対するお客さんの『YES』を感じています。このまま存在してていいよってことかなって。お金と一緒に手紙を入れてくれる人がいたり。最近は閉店すると子どもたちと、今日は何が入ってるかね? ってワクワクしながら箱を開けています」
自分に正直に生きる、子どもと対等になる
千秋さんは、子育てにも自分の考えを持っている。小学校で図工を教えていたときは、最初から教科書を使う気がなかったという。答えのない芸術の世界に、マニュアルも到達目標もなくていいと考えていたからだ。年度始めに子どもたちに「やりたいこと、作りたいもの」のアンケートをとって、それをひとつでも多く授業で実現させるように努めていた。ある年には「家を作りたい」という要望に応えたくて、6年生と校庭に「竪穴式住居」を作った。
「ほかの先生たちには反対されました。絶対にできないからやめなさいって。でも私は、やり始める前から簡単にできないと言うのが嫌なんです。調べてみたら、案外できそうだぞ、とわかって。竪穴式住居を完成させた子どもたちは、無人島に漂着しても生きていけると思います」
ラムピリカの相談役で、千秋さんの友人でもあるカヤノヒデアキさんは『やり方は、考えれば1000通りある』と言う。できないと決めてしまうことは簡単だ。だけど、どうやったら実現できるのか、その方法に知恵を巡らせることの方がずっと楽しいことだと。そんな価値観を共有できる仲間がいることがうれしいと、千秋さんは言う。
小学5年と中学1年の娘を持つシングルマザーで、ドネーション制の喫茶店「ラムピリカ」店主。そんな顔を持つ千秋さんのパワーはどこから来るのだろうか? 夫もいるのに、1歳児がひとりいるだけでも大変なのに、どうやって頑張ったらいいのかと、イベント会場に来ていた人から質問があった。
「頑張らなくていいんじゃないですかね。基本、子どもはほっとく。死ななければ大丈夫と(笑。
あとは、自分の感情をひとつも否定しないことを心がけてます。イライラしたり、子どもに当たり散らしてしまうこともあるけど、そんな自分さえも制限しないでいてみたら、そうでない状態の自分のほうが好きなことにあっさり気づいて。それからは、なるべく自分が気持ちいい状態でいることを優先させようと思いました。その方が、自然と無理なく子どもたちに優しくできるようになりました。
いちばん大事なのは、子どもたちを信頼すること。私があれこれ言ったり、修正しようとしなくても、絶対に大丈夫と、自分に言い聞かせてます。もちろん子どもの言動であれこれ気になることはあるけど、基本、何をしていても何をしていなくても、彼女らの生命そのものを信頼して任せておきます」
一般的な子育ては、子どもをきちんとしつけるとか、間違った方向に行かないように導くとか、大人の基準(倫理、道徳)で行なわれる。でも、子どもたちだって、ちゃんと空気を読んでいるし、相手の気持ちを察することができるし、何でもわかっているのかもしれない。
「対等に接してみると、大人がかなわないような感性や考え方を持っていることがわかるんです。むしろ先生と呼びたいくらいです。だからもう、完全に信頼することにしています」
昨年9月、子どもたちを置いて、千秋さんは当時の恋人と二人でヨーロッパへ2週間の旅に出た。
「子どもたちを置いて、好きな人と旅に出る。母親だからという理由で『絶対ありえない。そんなこと、やってはいけない』と思っていたことを、やってみたいという気持ちになったから。そして、それでも絶対大丈夫だと、当時の彼が率先して強く信じてくれたから。もっともっと自由になってみようと思えたから」
そんなに長い間、子どもたちと離れるのは初めてだったし、罪悪感を覚える瞬間もあったという。留守の間、子どもたちと過ごしてくれる人を探し、「子どもたちのご飯を作らなくても、学校に行かなくなっても、死ななければ何をしても平気だから」とお願いして、千秋さんは旅立った。
シングルマザーで子育てをしてきて、そのあまりの大変さを実感してきていた千秋さんは、ひとりが全部やるのではなく、みんなで子育てしたら、もっと楽に生きられる社会になるのではないかと考えていた。家族の問題を家庭内で解決しようとするのではなく、もっと気軽に家族の外に頼ってしまう。子どもたちも、いつも一緒の親だけではなく、さまざまな大人たちと出会うことで自分たちの世界を広げて、成長していくはずだ。
その2週間、子どもたちと一緒に過ごしたのは、フォトグラファーの千明(Chiaki)さん。彼女のブログを読んでいると、新しい子育ての仕方や、これからの家族の在り方を考えさせられるし、その真摯に向き合う関係性に涙がこぼれてくる。
みずすず日記 序章〜不思議な3人暮らし〜
みずすず日記1〜みーちゃんのガッツと名言〜
みずすず日記2〜フルーツと料理から学んだお母さんの凄さ・前編〜
みずすず日記3〜フルーツと料理から学んだお母さんの凄さ・後編〜
上のブログにも出てくるが、子どもたちが学校に行きたくないという時期があった。その気持ちを否定せず、ずっと見守っていたら、しだいに学校に行くほうが楽しいことに気づいたという。
「子どもたちがどうしたいか、なるべく具体的に聞くようにしています。学校を休みたいと言うときに、本当はもっと寝ていたいとか、今日は折り紙をしていたいとか、ずっと本を読んでいたいとか、実は宿題をしていないから行きたくないとか、本当の理由が出てくるんです。それを聞いたうえで、家でやりたいことがあるならいいねと同意します」
進路のことについても、進学しなさいとは言わない。「高校も大学も、私は行ったら楽しかったよ」くらいは伝えられても、行かなければいけないものだとは考えていない。高校に行くのが目的ではない。学校に行くとしたらどんなことがしたいかを子どもたちに聞いてみる。すると、農業系の学校に行ってみたいとか、美術や芸術関係にも興味があることがわかってくる。
「どこまでも対等に話すようにしています。そして、何をしたいのかわかったら、それを叶えるためにはどうすればいいのかを一緒に考えます。幸い、周囲にいる友人たちのなかには、高校や大学に行かなくても魅力的な人が多いし、学校に行く行かないにかかわらず、どんな生き方でもいいから、楽しく生きていてくれたらいいと思っています。子どもたちを『指導する』ことではなくて、『応援する』ことが大人の役目だと思っています」
ラムピリカ、そして私たちの未来
最近のラムピリカには、おもしろい人たちが自然に集まってくるという。声を聞いていると眠くなると言われる友人からは、それを活かして読み聞かせをしたり、みんなでまったりする「うたたねカフェ」を開催したいという案が出た。9月から毎月開催して、毎回少しずつテイストを変えて、次回は新年、1月12日に「うたたねバル」(夕方から開店して、朝日を見るところまでが開店時間)として進化した形で開店される予定だ。
北海道の友人からは「でたらめ料理選手権」という企画をもらった。まだ聞いたことがない国の名前を5か国ほどラインナップして、参加者各々が自由にその国をイメージして、かってに妄想料理をつくり、いかにもその国から来たというコスチュームで(服も適当)、作った料理をプレゼンしあって、みんなで味わう。
「その国のことを『まだ知らない時にしかできない』という、そんな状況でやってみたかったんです。少しでもその国のことを知っていたらできません。こういう、結果が予想できないことにわくわくします。うたたねカフェも、知恵を絞りまくってリラックスを限りなく追求したらどうなるんだろうというところに興味がありました。
電気のブレーカーを落として、携帯の電源も切って電磁波ゼロにして。気が向いたときにすぐにつまめる軽食やおやつを用意して、いつでもリラックスできるハーブティーが飲めて、眠たくなったら眠れるように環境を整えました。サービスを受ける側と与える側に別れることなく、スタッフが自ら率先してただくつろいでお客さんと一緒に過ごしてみる。そうしたら、どんなことが起こるんだろう? 結果は⋯⋯言いません(笑。体験しに来てほしいです」
イベント会場からは、好きなまんがを持ち寄り1日だけのまんが喫茶を開いてほしいという意見が出た。ほかにも、アーティストやクリエーターが集まって、それぞれ自分の作品を喫茶店内の好きな場所で自由につくったり、気が向いたらコラボしたり、クリエーター祭りを開くのも楽しそうという声もあった。
「ラムピリカにどんな人が来て、どんなアイデアが形になっていくのか、まったく想像できないのがいいですね。同じように、子どもたちがどんな大人になるのかも想像ができなくてとても楽しみです。
私は計画を立てるのが苦手で、こうなりたいという思いがありませんが、『こうありたい』という気持ちははっきりしています。昔はついマイナスな感情を選びがちだったんですが、今は笑っていたいと思っています。いつもリラックスして、落ち着いていて、すこやかで、かろやかで、自由で、いろんなことが“いい感じ”になっていったらいいなと。その“いい感じ”のところに好きな人たちが集まって、“いい感じ”がどんどん派生していったらいいなと思ってます」
最近、千秋さんの呼びかけで「お父さんバンク」という仕組みづくりが始まっている。世の中には「得意技」を持て余している“お父さん”(性別、年齢、既婚・独身は問わず)がいて、それを必要としているシングルマザーに繋がる仕組みがあれば⋯⋯と思ったのがきっかけだった。
「3人家族だったときにラムピリカを始めて、ここに関わる人が増えてきたら、ひとりで何とかしようと頑張っていたことも人に頼ることができるようになりました。特に、余裕のありそうな独身の友人に気軽に相談することが増えました。
子どもたちに『セックスって何?』と聞かれたときには何て答えたらいいのかわからなくなってしまい、性に関してオープンでフラットな意見を発信している友人に子どもたちと話をしてもらいました。健康や体力づくりのことで悩んだら、ザ・超健康優良児な友人に相談。
親子げんかしたときは隣人にと、人に頼ることを自分に許したら、『自分ひとりでなんとかしなきゃ』という緊張がほどけて、家族の関係がどんどんいい感じになっていった感覚がありました。そして何よりうれしかったのが、案外、頼られた相手もうれしそう、ってことでした」
ここで気をつけているのは、助けてもらう、助けてあげるという関係ではない点。それが必要なら、お金を払ってサービスしてもらえばいい。あくまでもトライしたいのは、家族の延長のように、それをするのが当たり前のような関係を目指している。
「家族ってどうしても閉鎖的になるので、その枠を取り払って、みんながもっと力を抜いて、自由に手を繋げるような世界になったらいいのに。結婚という制度や、法律的な家族の枠組みにとらわれずに、その外側に拡張していけたらいいですね。だってその方が、何だか楽しそうじゃないですか」
お父さんバンクの準備段階で、千秋さんは娘の誕生日を「よってたかって」祝うことにし、Facebookで一緒に祝ってくれる人を募集した。最初に娘に伝えたときは「マジ、やめて!」と怒っていたそうだが、実際に誕生日を迎えてみると、ケーキは2個になるし、欲しかったプレゼントはたくさんもらえるし、何よりたくさんの大人が自分ひとりのために集まっていることが、なんだか楽しそうだった。その次は、合唱コンクールを「よってたかって」応援した。
「コンクールの朝、今日は何人来るのと聞かれたので、4人で行くと答えたら、誕生日のときはあれだけ嫌がっていたのに、口元がちょっとうれしそうでした。そのあと次女の運動会をみんなで応援すると伝えたら、次女には『(楽しそうだから)来るのはいいけど、5人までね!』と念を押されました(笑)」
それぞれの詳細は、千秋さんのブログを参照してください。
お父さんバンク 初級編ー よってたかって誕生会のこと。
お父さんバンク中級編〜よってたかって合唱コンクール〜
子育てに限っても、誕生会、運動会、合唱コンクール、授業参観など、さまざまな行事がある。仕事が忙しくて、いつもお父さんは行けず、お母さんがひとりで行くケースも多いだろう。そんなときに、誰か一緒に行ってくれる人(年齢・性別を問わず)がいたら、どんなにうれしいことだろう。
「そしてなにより。わけのわからない大人の集団がよってたかって自分ひとりのために集まってる! なんて状況は、子どもにとって最高にうれしいのではないかな」
お金を介するサービスを自分たちの手に取り戻したい。家族の形をもっと自由に解き放ちたい。ラムピリカに集まる人たち、そして千秋さん一家を見ていると、新しい未来へ続くドアに手をかけたような気がしてくる。
喫茶ラムピリカ
ー江の島近くの小さな喫茶店ー
https://www.lampilica.com/
https://www.facebook.com/lampilica/
千秋さんのブログ
On the way always
http://naimachiaki.hatenadiary.jp
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