ブッダの瞑想法−−10日間の心の手術 2009/09/16〜27[おわりに]
何も考えずに出かけた10日間コースは、本当に大変な修業だった。世の中の時間の流れとまったく異なる時が、千葉の山中では進んでいたように思う。修業の前は、毎日お酒を飲んでいたが、帰宅しても「飲みたい」という気持ちにはならなかった。試しにギネスビールを一杯飲んだものの、ひさしぶりのアルコールということもあり、飲んでしまったら感覚を観察することは難しく、そのまま寝てしまった。
寝る前と起きる前に横になりながら数分間、感覚を観察しなさいと言われていたので、7時半に起きて、寝たまま5分観察してみる。すると寝たままでも感覚が体を巡っていく。なかなかおもしろい。
メールチェックをしていると、「もっと瞑想しよう」と誘うように体の感覚がざわざわしてくる。ということで、寝起きに1時間の瞑想をしてみた。毎日朝夕に1時間ずつ行ないなさいという教えだったが、守らなければいけない戒律などを含めて、自然体で続けてみようと思う。
そんなに瞑想の時間がとれないと思うのだが、先輩たちは「毎日座らないと落ち着かない」と話す。瞑想をすることで、睡眠の質が高くなるので、今まで7時間寝ていた人なら6時間で、8時間寝ていた人なら7時間ですっきりするらしい。同じように朝に瞑想を行なうと、その日の仕事が効率よくはかどるそうだ。
10日間コースで何を行なったのか、自分がどう変化したのか、簡単に説明できないかと考えていた。例えば、どこかがチクッとかゆくなったときに、無意識のうちにそこをかいてしまうはずだ。これは潜在意識のレベルで反応しているわけだが、無意識にかくのを意識的にやめるようにする訓練をしていたことになる。かゆみに対して嫌な気持ちを持たずに観察していると、それはしだいに消えていく。これがヴィパッサナー瞑想のポイントかもしれない。
早起きが続いたので、初めて朝食担当をして子どもたちを見送ったときに気づいたことがある。子どもたちは寝るときに「おやすみ」を何度も言うクセがある。僕は一度返事をしたらもう答えなかったのだが、妻は何度でも優しく返事をしていた。僕の対応は、自分の心のクセ(言ったことに責任を持つこと)にこだわって反発していた。逆に妻は、愛と慈しみの気持ちで何度でも返事をしていたのだ。変わったことといえば、この気持ちだろうか。
修業の途中で、この体験を多くの人に伝えたいと考えたときに、いつか一緒に仕事をしたいと思っていたアーティストのマシマタケシさんの絵が浮かんだ。大人の絵本のようにするか、文章と挿し絵の組み合わせにするか、まったくの白紙状態だが……。
まだ面識はないものの、少し前に訪ねた自給自足している大家族のところでマシマさんを知り、その縁で何度かメールのやりとりがあった。ひさしぶりにマシマさんに連絡して、ヴィパッサナー瞑想に興味があれば、ぜひ手伝ってくださいとお願いしてみた。
すると、ちょうど京都のヴィパッサナー瞑想に行くつもりだったというではないか。その不思議な縁に、お互いにびっくりしてしまった。マシマさんは現在、屋久島に住んでいる。かねてから屋久島に行きたいと思っていたので、これをきっかけに訪問できるかもしれない。
もうひとつ、ずっと心にひっかかっていた「歩く瞑想」のことがある。アルボムッレ・スマナサーラ長老が書いた『自分を変える気づきの瞑想法−やさしい!楽しい!今すぐできる!図解実践ヴィパッサナー瞑想法』(サンガ)のほか、関連書籍をまとめて注文し、ざっと目を通してみた。
歩く瞑想を行なう場合、動作や思考を言葉によって確認(ラベリング)していく。呼吸の観察もお腹のふくらみを「ふくらみ」「縮み」と言葉を繰り返す。ゴエンカ式ヴィパッサナーとは、ここで大きく異なっている。言葉で確認していくことでほかの思考が入る余地をなくしているようだ。実際に体験していないのがわからないが、ラベリングでは現在の状態を確認できても、過去のサンカーラが浄化されることはないように思えた。
さらにいろいろ調べてみると、ヴィパッサナー瞑想にはいくつかの流派があるようだった。以下のサイトがわかりやすかったので紹介しておく。
ブッダが教えていたオリジナルの瞑想方法は、パオ式が受け継いでいるといわれているが、これは出家者向けの修業なので、ヴィパッサナー瞑想に進める段階に到達する人は少ないという。マハシ式は、気づきを頭のなかで言語化するところに特徴がある。僕が最初に興味を持った瞑想方法だ。
ゴエンカ氏は、2〜3の異なる瞑想方法を試してみるのはよいという。けれども、自分に合っているものが見つかったなら、それを修業することを勧めている。いくつもの修業を試し続けるのはよくない。
ゴエンカ式のヴィパッサナー瞑想は、たった10日間の体験なのに、本当に「心の手術」を行なえるプログラムになっている。難しい理論はともかく、この体験をぜひ多くの人に共有してもらいたい。
修業の最後に消えた心のしこりは、自然農の印税がもらえないこだわりだった。以前はそのことを考えただけで怒りがこみあげて出版社をうらんだものだが、その気持ちがなくなってしまった。
帰宅後、アマゾンで在庫を見ると1〜2か月後の出荷になっており、自然農の全国集会で会った人に聞いても、出版社に在庫がないという。そのうち増刷して初版分の印税がもらえるかもしれない。
10月3〜4日に岐阜県恵那市で行なわれた自然農の全国実践者集会「妙なる畑の会」のテーマは、「真の私を生きる」だった。その内容もさることながら、川口さんの言葉のひとつひとつ、自然農の作業のひとつひとつが、そのままブッダの教えとヴィパッサナー瞑想の実践に当てはまることに気づいた。どの道を極めても、「生きる」というその答えはシンプルになるのである。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
生きとし生けるものが幸せでありますように。