新しい場所で
車窓から見える景色は、濃淡様々な緑色でいっぱいだ。今の時期はとてもよく晴れていて嬉しい気持ちになるし、カラッとした風も心地が良い。朝から気分がスッキリする。それでも、時々、鉛のように体が重かったり、どんよりとした気持ちが残っていると、落ち込んでいるのだと気がつく。
生まれ育った環境とは全く別の場所なのに、どこか懐かしくて、あたたかい気持ちになるのは何故だろう。田舎と呼ばれているこの街には、何気ない風景に心踊る瞬間が隠れている。
道端に咲いている花の写真を撮って種類を調べた。鶯やカラス、種類のわからない小鳥の鳴き声で目を覚まし、彼らの居場所を探した。名前も知らない初めて出会う人間と警戒せずに会話ができた。 どれも僕には、初めてのことで、あたたかい心の動きを感じた。
僕がずっと暮らしていたのは、ひんやりとした都会だ。東京の真ん中にある学校に通っていたこともあるし、巨大な新宿駅で迷子になったことも、数え切れないほどある。いわゆる都会っ子だった。
都会の街に出ると、常に息苦しさと正体不明の気怠さでいっぱいになる。他の人間たちに注意を向けることに必死で、場所や物の存在自体に意識を向けたことも愛着を感じたこともない。
意地悪な人間は、-ビッグシティトウキョウ-に多く存在する。都会の人間たちは鋭い眼で、僕のことを見張っている。僕も同じように怖い人がいないか、怯えながら見張る。みんな自分の身を守ろうと必死だ。
どんなに注意深く見張って危険を回避しようとしていても、悪意は突然現れて、僕のあたたかな感情を攫っていく。その人間もまた、僕を傷つけることで何かを満たしていると同時に、何かを失っている。だから、僕はどうすることもできず、ただ起きた現実に落胆して、受け入れてしまう。その度に僕は、酷く惨めで、情けなくて、泣き出しそうになる。
痴漢やタックルのオジサンも、盗撮のオニイサンも、皮肉と悪口が趣味のオバサンも、蔑んだ眼を持ったオネエサンも、-ビッグシティトウキョウ-が生み出したのだ。
でも、不思議なことに、泣き出しそうになった時だけ僕は、透明マントをそっと差し出され、一人で孤独を背負わせられる。
僕は一人が好きだった。どこへも行かずにいれば、他の人間に会わないし、-ビッグシティトウキョウ-に、何も奪われなくて済む。安心が欲しくて、体を丸めて閉じこもった。僕の家は、冷たい言葉が飛んでくることはあったが、外に出ることと比べたらまだよかった。
でも僕は、どんなに暑い夏でもお気に入りの毛布を被っていないと安心できなかった。家の中にも僕の居場所がなかったからかもしれない。ボーッとする頭で考えられることは悲しいことばかりで、漠然とした焦燥感や不安感で泣き出しそうになる。
仰向けに寝転び、天井を見ていると、涙が溢れて呼吸が速くなることがあった。落ち着かなきゃと焦るほど、ひどくなって、頭がスーッとしてくる。そうなってくると、なんだか笑えてきて、よくわからないまま気を失っていた。
だからお気に入りの毛布が必要だった。いつでも僕をやさしく包み込んでくれる。僕を安心させるのには、言葉なんて要らなかったし、言葉を発しないことは、僕に大きな安心を与えてくれていた。
今の僕は、お気に入りの毛布がいなくても、一人で眠ることができるし、人間に怯えもしない。一年前にやってきたこの場所からだったら、自分の足でどこへだって行けるかもしれない。
逃げも隠れもしなくていい。-ビッグシティトウキョウ-が生み出す悪夢に怯えながら、僕は今まで生きてきたけれど、もうここまで追っては来ない。
この街行く人は、僕のことを自然と受け入れている。
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