主観で愚痴を羅列しています
僕は女として生きることに苦痛を感じている。
学生の頃は制服で電車に乗れば、痴漢をされるのは当たり前だったし、盗撮されることだってあった。街を歩けば、声をかけられ付き纏われる。最寄り駅まで着いて来られたことさえある。
その行為自体に不快感や嫌悪感もあるが、屈辱的で尊厳を踏みにじられているような感覚が永遠に僕を支配する。人間には様々な自由、幸福を追求する権利が与えられているが、僕はそんなものを望んではいけない。望んだらまたひどい目に遭うかもしれないと錯覚させられるほどに自分の価値というものを失った。大きな犯罪に巻き込まれたわけではないが、普通に生きている僕でさえも、社会全体の風潮として、女という生き物は立場が弱いと感じる。
会社員になったら僕は、一人前に社会で生きられると思っていた。だけど実際には、自分の能力不足以外に性別が理由に任せられないと判断される仕事もある。飲み会に参加すれば、お酌をしないといけない。触れられるのも、性的な発言にも、笑顔で対応しないといけない。そこには確実に、女性としての仕事がある。
僕は体力がない。仕事で精一杯だが、家事も女がするべきとされている。仕事の責任や重みを平等に抱えることになったとしても、家事やコミュニティ内での女性としての役割を考えると、不平等に感じてしまうことがある。
男性と同じように仕事をして社会進出ができたとして、やはり性別というものは切り離せない。同じ仕事をしている男性社員には、お弁当を作ってくれて、身の回りの世話をしてくれる女性がいることをどうしても羨ましく思ってしまう。
結婚や出産で負担がかかるのも女性だ。柔軟なキャリアや職場での信頼関係が必須になるし、昇進なんて問題外だ。性別が理由で仕事は一人前にこなせず、休職することを考えると、権利の主張なんてできるはずがない。
故郷を離れ、仕事をして生活をして、ギリギリ生きているけれど、僕はどんなに頑張っても人生の主役にはなれない。男性と同じように仕事をし(実際には、男性と同じように…とは言えないが)、生活する上で同等の出費を負担しても、ずっと誰かのことを立てて、支えていく。
そういう役割を女性は担わないといけない。仕事をしていれば逃れられるなんて幻想だった。僕は自由が欲しくてたまらない。この社会構造の中で、結婚をしたがらない女性が多いのは当然だと思う。もう根性論は聞きたくない。
女という生き方を辞めることができたらどんなに楽だろうと心底思う。もちろん男性も同じく大変なことはあることは承知だが、女性を理由に上手くいかないもどかしさを、どう言語化して良いかわからない。
今までこの暮らしを目標に頑張ってきたけれど、どうしても明るい気持ちになれない。女性は体を売れば稼げるから羨ましいという男性の主張を時々聞くけれども、正しく生きようと一生懸命になればなるほど、負担が大きくなるのも女性だ。専業主婦になればいいという意見もあるけれど、3人に1人は離婚を経験しているという話もある。他人に命を握られているなんて生きた心地がしない。
高齢化社会、不景気、うっすらとした絶望感と確かな自己喪失。僕はどう生きていくべきなのか。果たして生きていくべきなのだろうか。25歳。もういいんじゃないかなと思う。
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