聖女

 朝の支度を終えた二人が階下の食堂へ降りると既に起きていたらしいクラウンが軽く手を上げて挨拶する。
「やぁ、おはよう。どうだったかな寝心地は」
「良かったよ。おかげでしっかり休めた」
「あぁ。特にあの枕、先代の王の気に入りと同じものだろう。良く手に入ったな」
マールズが枕の種類まで当てたことでクラウンが少し驚いたような顔をして、敵わないな、という顔で笑った。
彼の気持ちはよく分かる。
アマリオも幾度となくマールズには敵わない、と思ってきたので。
「ふふ、それもツテで。お気に召して良かった。二人とも、朝食のあとは俺が見つけてきた資料を改めて確認しよう。何か進展があるかも…どうした」
にこやかに話が進みかけた時、クラウンのすぐ横に微かな心地よい風を伴ってふっとシルフィのメイドが現れた。
「主人、客人が来ている。長い髪の女、歳の頃は主人と同じくらいだ」
彼女の声は街の中で聞いた時よりも澄んで、どこか風に揺れるような精霊に相応しい不思議な声だった。
これが本来の彼女の声なのだろう。
「名前は名乗ったか?」
「名乗ってない。とにかく主人を呼んできて欲しいとそれの一点張りだった。教会のシスターみたいな服を着ていたけど私がいつも見るものと少し違った」
最後の報告に分かりやすく顔を顰めたクラウンが大きなため息を着く。
「…そうか、ありがとう。すぐ行く。君達は朝食の準備を済ませたら今日は契約主の所に戻っておいで」
「分かった。兄妹にも伝えて今日は帰る」
「うん、頼むよ」
「誰か心当たりが?」
渋々といった様で食事も終えずに立ち上がったクラウンにそう訊ねるとげんなりした顔でクラウンは説明しだした。
「聖女ミラだと思う。知ってるか?国の聖女だと自称するシスターなんだが」
「いや…少なくとも僕は知らないな。マールズは?」
「その様に自称していた娘がいる事は知っているが…家にこんな時間に押しかけられる程に地位が高いとは知らなかったな」
「まぁ、どんなに無礼で言っていることが型外れでも大臣のお気に入りの娘の一人だからな。無下に扱うとこちらの立場が危うくなる。…以前彼女と話した感じ、偏った正義感のようなものは本物だが…何か裏にある気がしてならない。とりあえず行ってくる」
「一緒に行かなくて平気か?」
アマリオが聞くとクラウンは少し迷ったようだがすぐに笑顔を作って断る。
「大丈夫大丈夫。君達は先に朝食を食べていてくれ」
そう言ってクラウンは食堂を出ていった。
 十数分後、ばたばたと落ち着きのない足音とクラウンの慌てたような大声が聞こえてきた。
「待ちなさい、入っていいとは…!」
バタン、とノックも無しに貴族であれば即刻つまみ出されたそうな音を立てて一人の白髪の女性が入ってきた。
パッと見アマリオと同年代に見えるが、シルフィによればクラウンと同じ年齢らしい。
白パンをちぎりかけた姿勢で止まったアマリオの手を白パンごと包み込んで、女性は薄紫の瞳をうるませ心底嬉しそうな笑顔を見せた。
「アマリオ様!貴方がアマリオ様ですね?」
「お嬢さん、私達が食事中なのが見えないのかね?貴族でなくともそのくらいの礼儀は弁えて欲しいものだが」
厳しい目でそういったマールズに女性は目尻を釣り上げて、キッ、とマールズに向き直る。
アマリオの手は強く握ったままだ。
「…お言葉ですが!今は神の御心が失われつつあるこの世界の危機、ゆっくりお食事などをしている場合ではありませんよ。アマリオ様、貴方は神に選ばれたのです!神託とは神に選ばれるという事!なんて素晴らしいのでしょう、この旅是非私にもお手伝いさせてくださいませ!」
コロコロと声色を変えてそういう彼女にギルドで対応してきたクレーマーや面倒な客を思い出し、ただの熱心な信徒であればまだいいなと思いながらアマリオは笑顔を貼り付けて女性に訊ねる。 
「…失礼、レディ。私は君の名前も知らないのだけど」
「まぁ、私ったら…!神に選ばれし神子に会えた事に興奮してしまって…お許しくださいませ。ミラ・ルーシェと申しますの。気軽にミラとお呼びくださいな」
彼女は着ていた普通のものとは様式の違うどこかドレスの様なシスター服で動きは素晴らしいカーテンシーを見せながらそう言った。
「そこまでにしてくださいミラ。彼らは俺の客人ですが君の事はうちに招いてもいない」
腕を組み分かりやすく不機嫌を現したクラウンがミラにそう言って玄関口の方向を指し示した。
が、ミラはそれをものともせずに言い募るばかり。
「あら、神のご意向に沿うことより大切な事などありませんもの。私は神に祝福を与えられた身。この髪がその証拠ですわ!となれば神子をお支えするのは当然ではなくて?」
自分の真っ白な髪をふわりと見せつけ、そう言ったミラはどこか誇らしげにみえる。
その後もクラウンが必死に彼女を追い返そうとして言葉を重ねていたが暖簾に腕押しと言わんばかりにただのひとつも彼女が聞く耳を持つものは無かった。
 やがて疲れきった顔をしたクラウンがアマリオ達の方をみて問う。
「…アマリオ、マールズ殿君達はどう思う」
「楽な行程では無いし、ミラさんには厳しいんじゃ」
「私、聖女ですからちゃんと防護魔法も回復魔法も使えるんですの!ですから大丈夫ですわ!」
「ですが…」
「私断られても着いていきますからね!」
「………」
三人でしばらく顔を見合わせて同時に諦めを悟った。
この手の人間はここまで断って折れない場合何をしても折れない。
知らぬうちに着いてこられるより、着いてくると知ってせめて自分達の目の届く範囲に置く方がまだマシだと判断したのだ。
「……お好きにしてください。警告しましたから責任は取りませんよ」
「はい!」

 その後マールズとクラウンが資料を調べる間ミラのお喋りの囮のように置かれたアマリオはただ相槌を返すだけのロボットになっていた。
「ですからね、神は…」
「そうなんですね勉強になります」
 面倒な客対応のさしすせそ。
さしすせは省略、そは、そうなんですね勉強になります。の「そ」だ。
うんうんと頷くアマリオの後ろで山のような資料を捲りながらマールズ達が小声で会話をしている。
「マールズ殿、そちらはどうです?」
「特別気にかかる記述はないな。やはりクロークに行くのが良いだろう」
「左様で…それにしても貴方の息子に彼女の相手を任せてしまってすみません」
「いや、アマリオはギルド職員だったからな。あの手のものの相手も慣れている…が、そろそろ助けてやらんとな」
アマリオの首がもげる、と冗談めかして言ったマールズはアマリオを助けるべく声をかけるのであった。

 五日後、いつの間にやら飛龍のチケットを手に入れていたミラが今にも走り出しそうになるのをどうにか抑えながら、四人はまだ薄暗い朝早くから出発した。
星は相変わらず半減したままで、その光景はアマリオに事態の現実感を突きつけた。
馬車や魔法を使い、どうにか飛龍の停留場所に辿り着く。
大きな壁に囲まれ内部は広場のようになった停留所の入口で鉱石のチケットを渡し、広場に入ると、四頭の大きな飛龍が朝の光を受けながらぐぅ、と羽を伸ばしその鱗の一枚一枚がキラキラと輝いている。
そんな飛龍が大人しく天井の開いた広場に並ぶ様はなんとも言えず壮観であった。 
「さぁ!行きましょう!」
とうとう堪えきれなくなったのか駆け出したミラをクラウンが窘めながらその後を追う。
彼らの後ろをアマリオとマールズが続くのであった。

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