日常論争 『何でもいいは何でも良くない』 ~考えることは作るということ~

1.ごはん何にする?

 誰かが食事を作ってくれる時、こう聞かれることがあるだろう。これに対して「何でもいいよー。」と答える人が一定数存在する。そしてこの回答に腹を立てる人もまた一定数存在する。そして争いが起こってしまう…

 そもそも調理する人は何故この質問をするのかを考えてみよう。全ての発端はこの質問から始まるのであればそもそもしなくてよい会話である。理由は大きく2つ存在するだろう。

A.作る人が作って貰う人の希望を受け付けるため。
B.作る人が作って貰う人に何を作るか決めて欲しいため。

 Aの場合は、「何でもいいよー。」は希望が無いことになるので、作る人にある程度メニューが固まっている場合は特に問題は無いが、希望が無い状態が続くと不満が溜まるケースもあり得る。

 希望が無いということは作り甲斐が無いということでもある。提供する料理に好みが無いとそもそも作る必要性すら感じなくなる。なので、「何でもいいよー。」の使用自体は可能だが、何度も機会がある場合、連発は基本的にしない方が良い。作って貰うことに感謝の気持ちがあるなら尚更だ。

 Bの場合は、作る側にもプランが無いことが多いので、「何でもいいよー。」は思考の放棄同然なのでAより危険度が高い。これが仕事の場合、新規プロジェクトを立ち上げる会議において、自分だけ意見を出さずに決まったらやると言っているのと同じである。とんだモンスター社員だ。
 
 料理を作ることはレシピを考えるところまでを含めて料理だという考えもある。相手と分業体制が確立している場合は、作る側の質問自体が愚問ということになるので、甘えないで自分で考えるように提案するのもありだ。

 但し、その場合は出されたものは文句を言わずに食し、不満があるなら次回はアドバイスを出すなり、一緒に考えるなりしなければならない。本当に不満なら二度と食べなくて良い。そしてそれは、分業している相手の何かに対しても同じ権利が発生する。

2.作ってもらう人はどんな人?

 前項でのBのケースを更に深めていこう。作る側と作られる側で完全に立場が同じ、というケースは考えにくい。以下のように分かれていく。

X.作って貰う人は、別の機会に何かを作ってあげることがある。
Y.
作って貰う人は、一方的に作ってもらっている。

 Xの場合、夫婦間で例えると「私が毎日仕事をしているから、料理は君が作れ」みたいなケースをイメージすると分かり易い。片方が仕事を、片方が料理を提供している。

 しかし、ここで忘れてはならないのは提供する物の希望を伺っている点である。同じ目線に立つ場合、「今日の仕事何にする?」と相手に希望を聞くことがあり、且つそれが仕事してもらう側に決める意味が生じなければ対等とは言い難い。

 Yの場合、作る人の善意で成立しているケースが多い。Xのように別の形でのお返しが出来ないケースだ。これを心苦しいと感じる人もいれば、当然の権利のように感じる人もいるだろう。お返しをしたくても出来ない状況にあるが、その受け止め方は違う。

 厳密にはXとYの中間であることが多いかもしれない。対等ではないが、何らかの形でお返しが発生するケース。この比率で揉めることもあるだろうが、ここでは更にYのケースを追っていく。

3.考えることは作ること

 この論争で最も多い人達が以下ケースに集約されいてく。曰く、

「作る側に調理スキルはあるが、レシピプランが無く、
 且つ、作られる側に代替行為での返礼が不可能な状態」

 小難しい書き方だが、一例を挙げると、「定年後の仕事をしない旦那とその妻」「成人前の子供とその親」みたいなケースである。イメージ出来るだろうか。自分の立場に合わせて、色々と想像してみて欲しい。

 想像する時に人は自分の立場を上に考えがちだが、まずは自分の立場が下だと思ってイメージすると、現実的なイメージになることが多い。

 上記の例に当てはまる場合、「何でもいいよー。」は時として争いの火種となる。作る側の出来る提案としては、選択肢を用意して選びやすくすることも一つの工夫だが、その場合でも「何でもいいよー。」になるケースはある。こうなるともう戦争だ。

 作られる側はこの時に、何か出来るだけ考えてみよう。考える材料は、それが初めてで無ければ過去に作って貰った料理の履歴にあるだろうし、初めてなら取り敢えず、ネットで検索をかけてみよう。

 「〇〇が良い。」と答えられた時、作る側はそれの実現の可否は別として、考えてくれたことをまずは喜ぼう。考えることは作ることにも通じる行為だ。出来れば、その後に調理過程の労力、出費を考慮して一緒に考えていけるとより良い。

 作られる側は、その意見が通るかどうかは別として考えたことを1つの前進と捉えよう。作る側の立場には立てなくても考えることでその協力は出来るのだ。

まとめ
 安易に「何でもいいよー。」と言ってはいないだろうか。反射的に「何でもいいが一番困る!」と言ってはいないだろうか。一緒に出来ることはなるべく一緒にした方が良く、その可能性が一番高いのが「考えること」だ。

 人間は支え合って生きており、何かを誰かの為に作るのは既に支え合おうとしている段階なのだから、出来るだけ争わずに生きていこう。

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