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透明人間


幼い頃から、独特な人、変わっている人と安易に言われがちだった。

そう言われるのが怖くてなるべく口数を減らしていたし、会話するのも気を使った。


好きなものをきちんと好きだと言える人に憧れたし、好きなものが多い人はとても素敵だと思った。


人を好きになると、その人の好きな人になりたいというよりも、私を好きになって欲しいというよりも、好きな人その人そのものになりたいという欲がいつも勝ってしまう。

それを調べると、自分という存在を否定しないようにしようみたいな内容ばかりが答えとして出てきて嫌気がさした。

自分を大切に、自分を愛そう運動は胸焼けしてしまう。


好きだった女の子は、羊文学というガールズバンドを熱心に聴いていたので、全然良さを捉えきれないまま耐えるかのように聴いていた。


いまは耐えの時間、と謎に追い込む忍耐力だけは一丁前なのがいや。音楽はそういうものじゃないとあの子が知ったら言って欲しかった。

 
あの子のように、無印用品で身を固めたような丁寧な暮らしはやっぱりできなかったし、派手な色のネイルもやめられなくて、塗っていると一目でわかるリップの色もやめられなくて自我を感じた。

少しはみ出してしまう自分に満たされなくて、当時着ていた服もすべて捨ててしまった気がする。


生活が少し不便でも、部屋に何も置きたくないという欲が勝ってしまってテレビも電子レンジも掃除機もテーブルもない生活に慣れてしまった。

私という成分が少しずつ、少しずつ好きな人達のもので入れ替わっていってアップデートされたいといつも思う。


私の変わっているをなにで判断されているのかがわからなくて怖かった。


使う言葉も仕草も裏拍のような話し方もまるでそこにあったかのように、私が薄まっていけばいいのにと思う水みたいになりたい。


好きな色は緑と言ったけど、それはあのとき好きだった人が緑と言っただけだったし、好きな食べ物なんて別にないけど、聞かれたときに食べていた餃子をいつ聞かれても答えている。


好きなものはいつも通り越してしまってとても遠くに置いてしまうから、あまり近づきたくない。


せめてあらゆる成分で、私を蒸発させて欲しい。

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