つきの・海月

クラゲのようにフワフワした「私」と日常を行動する「私」。 ふたりの「私」は、仲良しだったり、けんかをしたり。 それをひとつにまとめようとしている「自分」。 人の心は複雑。

つきの・海月

クラゲのようにフワフワした「私」と日常を行動する「私」。 ふたりの「私」は、仲良しだったり、けんかをしたり。 それをひとつにまとめようとしている「自分」。 人の心は複雑。

マガジン

最近の記事

素直に認める、自分のこと。

 自分自身は欲の塊だ。私欲、我がままな欲で満たされてた 肉体と心を持っている。そしてその欲を中に閉じ込めておくことを 許される環境がある。改めて思えば、感謝の念が湧いてくる。  欲を無くすばかりが善だろうか?無くなったようでも、しばらくしたら、 またきっと芽生えてくる。大元の愛が枯渇している。枯渇から芽生えてくる  から、苦しめるものがある欲。それならば、愛で満たされた土壌で「育つ」 ものはなんだろう。きっと「育つ」ものがある。「育てる喜び」をもらえるかもしれない。  さあ、

    • 深く考えすぎないで、今を楽しむ!

       自分自身を、表現しないで生きるとは、何とつまらないことだろう。 自分に同感してくれる人、反感を持つ人もいるだろう。  しかし、反応してくれる人がいなくても、自分を表現しないのは、死んだも同然だ。怠け者になろうとも、働き者になろうとも、自分を自分らしく生きたい。選択できる自分、優柔不断な自分。 その気持ちが自分の中から湧きいでてくるならば、それでいいのだ。  生活するという日常の連続、取り上げてる内容が特別ないと思う今日、今こそに価値がある。自分の存在そのものこそが、自分を表

      • 犬も喰わないあれ!

         口げんかは、本当に馬鹿らしい。最初は議論してお互いの意見を主張しているようでも、スイッチが入った音が聞こえた瞬間、横道に逸れたことに気づく。大抵はエネルギーを使い果たした後に分かることが、今回の口げんかは、そうなる前にピンときた。ここで、止めればいいのだと。  自分で言うのもおこがましいが、普段は温厚な人間だと自負している。しかし、嘆かわしくもパートナーに対しては別だ。争う気持ちはない。なのに前世(あるとすれば)からの因縁としか思えないほど、ことごとく寄り添う努力に相反して

        • 面倒くさい自分の性格

           物事を深く考え、感じ取る。聞こえは良いようだが、段々とこんな自分が嫌になってきている。アハハと笑ってやり過ごせることにも、つい意味付けしてしまう。おまけに理屈っぽくなる。笑って軽く流したところで、薄っぺらいことはない!そう気がついてからはなおのこと、自分が面倒くさい人間だと思うようになった。何に拘っているのだろう。ポーズをとったところでサマにならないのに。  この性格形成に影響していることで思いつくのは「文学の世界」に憧れてきたということ。文士のような生き方がかっこいいと思

        マガジン

        • 最期に筆を折ると言いたい
          0本

        記事

          とうとう、順番が回ってきたわ。明日、本番。

          (明日、一分間スピーチの番なのでその為の準備) 先週も週末にプールへ行きました。 始めにバタ足を300メートル。その後に100メートルごとに、クロール100とバタ足50を繰り返し、大体一時間千メートルを泳ぎます。運動嫌いの私が着替えるのも面倒がらず、続けられるのはどうしてかなと、思いました。それは、ただ体を動かすことだけに集中できているからだと思います。呼吸と腕と足の動きだけを考える。上がる頃には、日常の不安や心配を忘れています。そして、自分の体を動かせる当たり前のことに

          とうとう、順番が回ってきたわ。明日、本番。

          今日の1分間自主的スピーチ(休みなので自宅で)

           280字の原稿をゆっくり話して50秒くらいだった。 だから1分間スピーチは、350字は話せるかもしれない。 黒柳徹子さんが、1分間800字を話すと聞いて、 早口だとそれぐらいなのだと、文字数をとらえたことがあった。 子どもの頃は、400字詰め原稿用紙で文章を書いていたから 原稿用紙、2枚分を書くには私にはかなり時間が必要だ。 1分間の時間の長さを思った。  普段の生活の中の1分間は短い。朝のレンチンでの温野菜は、 1分では足りない。チンゲン菜の根本、カリフラワーも5分はか

          今日の1分間自主的スピーチ(休みなので自宅で)

          今日の朝礼 1分間スピーチ

           新型コロナウイルスの出現により、人類は今、便利さや本当の豊かさとは何かを、考え直す時なのだと思います。私は、地球が悲鳴をあげているような気がしてなりません。経済活動と環境保護のバランス。人と人との距離を保ちながら、いかに心のつながりを深めていくか、課題は山積みです。ですが、自分、本当にちっぽけな自分でも、必要な人間だという意識が、行動を変えるのではないでしょうか。人のことをとやかく言わず、自分ができることを、できる範囲でやる。その出来る範囲も少しずつ広げていきたいと思います

          今日の朝礼 1分間スピーチ

          ゆたかさってなんだろう

           「自分は豊かだ」と思っている人はどのくらいいるのだろう。豊かな暮らしがしたい。豊かな心を持ちたい。日々、ため息まじりの失望と他人を羨やむ日常生活を送っているのは、私だけなのだろうか。絶対に無いよりあったほうがいい、お金も物も、安心感も。きっと、命尽きるその日まで願い続ける、豊かな人生をと。  ふと、私が願いが叶ったと喜ぶ時、傍にあるものはなんだろうかと考えてみた。目に見えるものだろうか。カタチがあるものだろうか。カタチある豊かさは、屋根のある寝泊りする場所があること、裸でい

          ゆたかさってなんだろう

          言葉を使って何ができるの?

           落ち込んだ時に、出会った言葉に救われたことがある。何だ、そう考えれば大したことないじゃないと、気持ちが楽になった。それは耳にした言葉であったり、読んでいる本の一節だったりした。  だから私も、誰かの心の支えになりたいとおこがましいことを願うようになった。でもいざいざ文章を書こうと思うと、思考が止まる。手も止まる。どうして?言葉の力を信じて書けるんじゃないの?自分に問いかける。  友人から話を聴いもらってよかったと、何度も言われてきた。思い起こせば、そんな時の私は、話を聴くこ

          言葉を使って何ができるの?