反対側があるから面白い
身体のことを学んでいるのだけれど、学びの中で体感ワークをすることが多い。
その中で、「ヘタ練」という手法をとる事がある。
基本の動きをする→あえてヘタにしてみる→戻す
というもの。
それをする中で、自分の中に、普段自分が感じていること、やっていること、思っていることの反対側を見る癖がついてきたなぁと感じていたのだけど
今日は、友達が主催するオンラインの読書会で、自分と反対の意見に対して「その視点、すごい発見!」って面白がっている自分に氣づいた。
今までって、結構、「どう論破すればいいだろう?」とか、「どの着地点を見つければいいのだろう?」と、相反するものとして捉えていたことが多かったのだけど
自分の考え方、感じ方の幅を広げてくれるものとして捉えていて、その視点で見てみたらこんなふうにも考えられるなぁと、別角度から見ての視点で物事を考えている自分に氣づいた。
反対側の考え方がこんなに面白いものだなんて!という新たな氣付き。
反対側を受け入れることでの自分の考え方や視点の幅の広がりが新鮮で、とても面白かった。
けど、それは、何が起こっても大丈夫っていう、安心安全な場を作ってくれている、参加していた方々の在り方もあってのものだとも思う。
なんだか本当にお腹一杯になった感じ。
いいも悪いもなく、どんな意見も対等。
その視点に立ってみると、いろんなモノサシで測れるようになる氣がする。
議論っていうものも、なんだか意味合いが変わりそうな氣がした。
面白くて濃ゆくていい時間だったな。
だから「マニアックで深い」っていう言葉が出てくるんだろうな。
私にとって、それこそが、「沼」だったりする。大好物。どこまでも深く、埋もれていけるもの。
体感の変化をたくさん感じ、戸惑いも、楽しさも、もやもやもいっぱい感じるけど、「嬉しい、楽しい、大好き」って言葉の中に、いろんな思いが凝縮されてる感じだなぁ。