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違いがあることの豊かさ

今朝、友人とのやりとりで感じた豊かさ。

私の投稿に対してコメントしてくれた一言が、私の中でとても違和感だったのです。

いつもなら、違和感に対して「この人は私のことわかってくれないなぁ」っていう思考回路が働くのですが、今回は、そこから自分の中での方向性の発展がありました。

違和感から、なぜ、自分はそう感じるんだろう?と、自分の感覚と言葉で、しっくりくる言葉を探していきました。

私の中でしっくりくる言葉が見つかったところで、自分が何を見ているのかがわかりました。

そして、友人のかけてくれた一言で、ひょっとしたら、友人はこういう世界を見て、こういう言葉をかけてくれたのではないかなということに思い至りました。

なんだ、見てる世界が違うんだ。

この見てる世界が違うという気づきが、とっても豊かな世界だなって感じたのです。

わかってくれない!って戦わせてたら、気づかなかったこと。
黙って、自分に問いかけることの大切さ!

自分の見てる、知ってる世界以外に、友人が見てる、知ってる世界が入ること。
その友人の世界の楽しみ方を、自分も体験できる可能性があること。
その世界を知ることで、お互いの世界の楽しみ方が際立つこと。

戦わせるではなくて、どっちもあって、どっちも豊か。

自分と同じ、相手と同じにしようとするのではなくて、共感しながら、それぞれのことを楽しめる心地よさというか。

例えるなら、自分はおにぎりを食べていて、友人はサンドイッチを食べている。それを「美味しいね」って言ってニコニコしていて、一人で味わうもよし、したくなったらシェアし合うのもよし。みたいな感じ。

お互いの見てる世界や、どっちが優れているかなんて関係なくて、お互いの世界観で遊べる自由。それを共有できることが、とっても豊かだなぁと思ったのでした。

そんなやりとりができた友人がいることに、とっても幸せを感じました。

そんなことができるようになったのは、身体の学びで、それぞれに違う身体の特性を、面白がったり、不思議がったり、お互いに心地いい距離感を持つことで発展したり、見てる世界の違いに新たな視点をもらったりできるようになったことも大きいのだろうなぁ。



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かな@自分との対話から見えてきたお話
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