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私のスタンダード
自分の「好き」「やりたい」「苦しい」「やりたくない」などの、湧き上がってくるものに正直になってみて数日。
その、好き、やりたいことをする時間を作るようにしているのだけれど、意外と好きなことのための時間が、なかなか取れないことに気づく。
生活環境を見直してみて、ネックになっていることが明確になってきたので、その環境を整えるべく、動き出している。
その環境の整え方も、今までと方法を変えていて
自分以外の方の視点や時間も借りることにした。
そこで氣がついたことがある。
自分の中のスタンダードが「苦しい環境」「生きるか死ぬかのようなギリギリのライン」だということがわかってきた。。。
なので、違和感を感じるのが、「環境が整っていること」だったり、「やりやすそうなこと」だったり、「楽にいられるところ」だったりしていることに氣付き、驚愕している。。。
あぁ。。。こんなに居心地よさを探しているのに、自分の居心地の良い場所となっているものが「地獄」だったなんて、、、みたいな。
なので、新しい環境が「心地よさそう」に見えると、「なんか違う」と選択肢から外していた。そして、死にそうな目に遭う場所を選んでいた。。。
過去数年、振り返るとずっとそうで。。。
今回、自分以外の視点や、その世界に詳しい方のデータを元に話を聞く時間を作っていて、そのデータを元に、自分でも調べてみるようにしているのだけれど・・・
自分の選択肢が広がる感覚。
違和感に飛び込んでみようとさえ思えている。だって、そっちの方が心地よさな氣がするんだもん。
わからなことは体感してみるのみ。
自分の力だけでなく、人の力も視点も借りつつ。
自分の中のスタンダードの大改革。
人の視点を入れないと、自分の選んでいる心地よさ、スタンダードが「苦しさ」だったということに氣がつかなかった。
目の前のことは、自分で引き起こしているのかもしれない。
でも、自分で「変える」と決めた時から、事態は動くのかもしれない。
身体の心地よさ、しんどさはわかってきたから
現実の心地よさ、しんどさもわかる・・・はず。
違和感を頼りに進んでみる。
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