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伊藤亜紗さんの「手の倫理」を読む

触覚に関する本は、たくさん読んできました。
そんな初心に返る意味で、最近、小生は、合計4回の伊藤亜紗さんの「手の倫理」を読む読書会に参加しました。
その中で、樋口直美さんの「誤作動する脳」という本の一文が紹介されていました。
レビー小体型認知症当事者の樋口さんの本です。
お孫さんとお風呂に入ろうとしたときのことです。
樋口さんは、お風呂の入れ方を忘れてしまったけれど大丈夫かなと思ったそうです。
以下引用です。
「そのとき私の手は、私の思考とは違うもの認識していました。私の手は覚えていたのです。幼児のずっしりと希望のつまったような体の重み、つやつやした肌の弾力の強さ、プクリと膨れたお腹、お饅頭のような握りこぶし、一列に並んだ大豆のような足の指・・・・・・。
私は、だんだん今がいつで、自分が何歳なのか、よくわからなってしまいました。私の膝の上でなすがままに洗われているのは、私の子どもの子どもです。それはよくわかっています。
なのに私の手がリアルに思い出しているのは、私の子どもを洗っていたときの感触です。その「私」は、二十代です。そして私の気持ちも、そのときに引き戻されていくのです、うっとりと。
ーこのまま時間が止まってしまえばいい。」
そう、重さも、香りと同じで、記憶と結びついています。
犬型セラピー!?ロボット?パトランを、抱っこすると、泣き出すひとがいます。それは、以前飼っていたペットのことを、その重さで、思い出させてくれるからです。脳は忘れていた手の記憶。
パトランは、そんな昔の誰にでもあったかもしれない記憶を思い出させてくれるキャラクターなのです。
昔の、楽しかった思い出、そのまま時間が止まってしまえばいい・・・。
記憶とともに、パトラン。

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