日々是くらげ14日目「2年ぶりに両親と会ってほっとしたという話」
どうも今回の飛び石連休は各地の観光地や主要駅・空港が新型コロナウイルスの流行以来もっとも混んでいるところが増えているらしい。1年半以上に渡って家族にも会えない人が多かったし、この先コロナの第六波がいつ来るかもわからない。感染者が激減している今が帰省や旅行のチャンス、と出かける人はかなりの数になるだろう。
かくいう私も鴨川市の温泉宿でほぼ2年ぶりに両親と再会してこの日記を書いている。親が実家から孫(私から見ると甥っ子)と遊ぶついでにウチに寄るという話になったのだけど、色々つかれるだろうからせっかくだからおすすめの宿に泊まっていけ、車を出すから、ということでこの宿に泊まることになった。(まぁ、いろいろあって妻のご両親も一緒に泊まることになったのだけど)
正直なところあまりそれほど話すこともないのだけど(うちら夫婦と弟夫婦・両親のLINEグループもあるし)、とりあえずお互い元気で良かったと生身で確認することができるのはやはりオンラインにはない喜びが生まれるので人間とは不思議なものである。(詳細な旅行記はまた後で書く)
自分も若くないなぁと実感することがどんどん増えているのだけど、それ以上に親もどんどん高齢になっていく。ウチの親父はもう72歳でちょっと前ならすでに平均寿命を超えていてもおかしくない年齢だ。人生100年時代というけども、100歳まで元気でいてぽっくり死ぬなんてのは偉人・偉業の類であって、普通はそこまですっっきり逝かない。親父はいまのところボケもせず、今年はちょっと胃腸を悪くして入院したけど宿の会食をほとんど食べて酒を飲むほどに回復したのだけど、生きている間にあと何回会えるかというカウントダウンをどうしても意識してしまう。
オンラインでいつでも連絡を取り合える現在で確かに「直接出会う意味」は以前ほど重要でなくなっているのは確かでもあっても、一緒の空間でいることでしか共有できないものも確かにある。普段はあまり親と会いたいと思わない私でも新型コロナウイルスで移動できなくなって、そのうち直接会いたいなぁ、と考えてしまったほどなので、新型コロナウイルスの流行で少しでもいいことがあったとすれば、人が人と出会う意味を多くの人が色んな形で再考することができたことだろうか。
オンラインで済ませられることもあれば、そうでないこともある。その閾値は人によって違うので擦り合わさせる必要はあるのだけども、「会うこと」の意味をもっと大事にしたいと改めて考えた次第である。さて、今日の日記はこのくらいで。では。(おまけちょっとあります)
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日々是くらげ(11月版)
聴覚障害・ADHDの当事者「くらげ」の日記です。障害のことや社会のことなどを身近な生活から考えていきます。最後のおまけだけを有料にさせてい…
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妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。