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恋するパワポ

パワーポイント、通称パワポ。マイクロソフト社が提供する会議や商談などで使われるプレゼンテーション用のパソコンソフト。

私が現在の会社に入社したのは2000年。小売業のため、入社後はまず店舗勤務となるのだが、パソコン作業といえば、本部からのメールを確認したり、従業員の勤務シフトを入力する程度。報告書はもっぱらエクセルであり、パワポなどという代物を使用する機会は皆無だった。

それが訪れたのは、入社から10年経った頃。当時、商品開発の部署に配属されていた私は、アメリカセミナーなるものに参加した。約2週間ロサンゼルスに滞在し、日本の5年先を進んでいると言われるアメリカのチェーンストアを視察、学習するというセミナーだ。それはそれは、興奮と感動に満ちたエキサイティングな体験だったのだが、帰国後の上司からの一言で、そんな余韻は一瞬で吹き飛んだ。

「来週社長報告あるから、パワポでまとめといて。」

「・・・社長報告って、僕がするんですか?」

「もちろんそうや。1人いくらかかってると思ってんねん。まずは参加させてもらった感謝を述べて、そこからどこを視察したかを順番に説明して・・・」

後半はほぼ耳に入っていなかった。社長に直接報告することも初めてだし、パワポなどクリックしたこともない。しかも来週って。

時差ボケの頭で過去のレポートを漁り、見よう見まねで資料を仕上げた。そして、Target社のカラーコーディネイト売場に感動したことを、震える声で、たどたどしい言葉で何とか伝えることができた。社長の顔は、最後まで見ることはできなかったが。

「資料めちゃ分かりやすかったわ。パワポ作るの上手いね。」

報告会終了後、参加していた何名かからそう声をかけられた。思いもよらぬ言葉だった。本当に自己流だったからだ。几帳面な性格のせいか、文字のフォントやサイズが統一されていない、カラーが調和していない、画像やグラフの配置がバラバラ、そんな状態が何とも気持ち悪く感じ、何度も手直しを行った。おそらく、そんな見た目の形式だけを褒めてくれたのだろうが、極度の緊張から解放されたこともあってか、これまでにない嬉しさを感じた。

そして同時に、自分の武器を見つけた気がした。

入社して10年、それなりにキャリアアップはしていたものの、社内では決して目立つ存在ではなかった。目覚ましい成績を上げたこともなければ、得意な分野を持っていたわけでもない。平凡なサラリーマンに舞い降りたLAからの贈り物。サンクス!ビル・ゲイツ。

そこからは、テキストで作成スキルを学び、ネットであらゆる会社の決算資料を見ながら、自分なりのデザインフォーマットを模索していった。エクセルやワードより自由度が高く、作り方によってはポップにもクールにもできる。エクセルが人生ゲームで、ワードがお絵かきボードだとしたら、パワポはレゴブロックといったところか。そんなパワポがどんどん好きになっていった。完成した瞬間は、まるで1つの短編小説を書き上げたような気持ちにもなる。

ちなみに、最もためになったのは、トヨマネさんのこのテキストだ。パワポの魅力と奥深さを、初心者にも分かりやすく説明している。興味のある方は、ぜひ参考にしてほしい。

もちろん作るだけでは意味がない。会議の場では、あえてパワポで報告書を作り、業績結果や改善案をプレゼンした。店舗運営の部署に変わってからも、店長が集まる研修の場で、課題の進捗と対策を毎月説明していった。そうこうしているうちに、部下が作るパワポ資料にも、明らかに私のフォーマットを真似ているものも現れ、心の中で小躍りしたものだ。

パワポで作った数枚のスライドが、会社の制度を見直すきっかけや売上不振から脱却するヒントになることもある。数行のメッセージが、悩める社員の背中をそっと支える背もたれになるかもしれない。そんな思いを込めて作り続けた。

そんな中、昨年末に入社3年目までの店長を集めた研修が行われた。通常のエリア単位ではなく、年代で区切るという初めての試みだった。というのも、コロナ渦以降、若手社員の退職が増加していた。同年代の社員との交流がなくなったことによる孤立感、不特定多数のお客を相手にする不安、人員不足への対応に伴う疲労など、確かに小売業にとっては神経をすり減らす毎日だった。ようやく対面での研修を再開できるようになったこともあり、若手を一同に集めてモチベーションアップを図ろうと企画したのだ。

何を伝えればよいのか、どのようなメッセージが彼ら彼女らの心に響くのか、ギリギリまで悩んだ。スライドがこれほどまで埋まらない経験も初めてだった。

悩んだあげく、とあるエッセイを紹介した。2020年に発売された「ポストコロナ期を生きるきみたちへ」という本に寄稿されたもので、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカルである後藤正文さんが書いた「君がノートに書きつけた一編の詩が芸術であること」という作品だ。

一部を引用する。

だから君がたった今、誰とも話しが合わないことに悩んでいるとしても、君が美しいと思うことを、素晴らしいと思うことを、格好いいと思うことを、何らかの集団に属するために、作り笑いでやり過ごすために、無理に変えないでほしい。誰かに否定されても、簡単に取り下げないでほしい。
君のその孤立するほどのユニークさが、君にしか分からない美しさが、遠く知らない国で、あるいは隣の席で、同じようなことを感じている誰かの、救いになることだってある。想像もしなかった会話やつながりが生まれるかもしれない。
自分の作ったものを馬鹿にされて悲しい気持ちになったときは、僕がここに書いた文章を思い出してほしい。

「ポストコロナ期を生きるきみたちへ」(晶文社、2020年)
後藤正文『君がノートに書きつけた一編の詩が芸術であること』より 

リード文もグラフも画像もアニメーションもない、真っ白な背景にグレーで書かれた文字だけのパワポ。トヨマネさんからモジモジパワポと揶揄されるようなNGスライドだ。それをスクリーンに映し出し、朗読した。

伝わったのかは分からない。そもそも、自分自身何を伝えたかったのかも曖昧だ。でもなんとなく、この文章を伝えたかった。私の唯一の武器であるパワポで。

朗読後、顔を上げて見渡した会場には、すすり泣く声。

なんてことはもちろんない。淡々といつも通り終了した。ただ、いつかの店舗巡回で、駆け寄って来た店長から言われた一言には、やっぱり小躍りしてしまった。

「あの時の本、買いましたよ。」

私のパワポ人生はまだまだ続く予定だ。どうせなら、定年退職前に、これまでのパワポ遍歴をパワポでまとめるというのはどうだろう。タイトルは「私とパワポ」、いや堅すぎる。「パワポ部長の栄光と挫折」、栄光も挫折もない平坦な折れ線グラフにしかならない。「恋するパワポ」、うん、後輩へのラブレターとして、良いかもしれない。

社長への報告は必要だろうか?

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