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セクシュアリティと性自認にパニックだった思春期を振り返る

【はじめに】
 私はセクシュアリティと性自認について非常に混乱していました。そのことについて、私自身が心の整理をする意味も兼ねて書いてみたいと思います。


【恋愛ドラマが気まずい】
 小学校5、6年生くらいのころ。私は友達の家で恋愛ドラマを見ることになりました。嫌だなぁとは思いつつ、友達のことは好きだし、これからも関係を続けていきたいと思っていたので、見たくないとは言えませんでした。ドラマ視聴中、なんだかずーっと気まずいんです。別に楽しくもない。なんだか自分だけ正しい見方をしていないような気がしてきてくるんです。というのも、すぐ横にいる友達はすっかり夢中になって見ていて、そのドラマを本当に正しい見方で見ているような気がしてくるんですから。
 私は自分が変だと思われないように、友達が言うことや友達のする表情と同じふうにするように努めました。自分が変だと思われたら、なんとなく終わりだと思っていました。友達がどんなことに高揚感を覚えるのかを知れる楽しさはありましたが、やっぱりストレスでした。
 

【「惹かれる感情」が生まれる】
 同じく小学5、6年生ごろ。ここから書くことは自分でも難しいと感じています。ですが、なんとか頑張って書いてみます。おそらくこのころから、「一般的な恋愛感情ではないけれども、他の感情とは違う特別で大切な感情」らしきものが生まれてきました。このカッコ書きの長ったらしい言葉に見当たる単語を私は知りません。なので仮に「惹かれる感情」と呼んでおきます。
 このころ所属していた地域のあるクラブの人に、私は他の人には感じない「惹かれる感情」を持ちました。その人とは比較的関わりを持つ機会の多い立ち位置でしたので、そういった感情を持ちやすかったのかもしれません。溌剌とした人で関わっていて気持ちがよかったのを覚えています。
 これが友情と違うと感じ取った理由は、クラブの時間が始まるとその人のことで頭がいっぱいになったり、その人と近くにいると、不思議と多幸感を感じたりする点です。
 それからしばらく経つと、さっきまでの人への「惹かれる感情」はすっと消え、同じクラブのおとなしい感じ人に「惹かれる感情」を持ちました。この人には、先ほどとは違い、頭がいっぱいになったり多幸感を感じたりという感覚ではなく、視界に入ると頭の中が優しくさせられる感覚。つい気にかけてしまう。そんなような感じでした。
 この「惹かれる感情」については自分でも説明が難しいので、また機会があれば書いてみようと思います。
 

【自分が性的対象になることの嫌悪感】
 中学に上がったころ。体育の時間に男女混合で野球か何かをやっていました。当時から私は、背の順で並ぶと一番前になるくらいの小柄なのですが、投げられたボールがうまく取れなかった様子を見て、一緒のグループになったクラスのイケイケ系の男子が、私のその様子についてボソッとつぶやきました。その言葉は、ヘテロ女性でしたら言われて普通に嬉しい言葉です。ですが、私が自分自身のことをこの言葉で形容するのがとてつもなく気持ち悪いため書けません。まあ使われる単語で言えば、道端に咲いてるお花や猫ちゃんにいう単語です。もう分かるかと思いますのでこれぐらいにしておきます。
 その単語をイケイケ系男子にボソッと言われたとき、とてつもない嫌悪感を抱きました。他者からそんなふうに見られている自分をカッターナイフでぐちゃぐちゃにしたい衝動に駆られました。
 

【性自認に混乱】
 …私は女なのか男なのか。女であることに違和感があるわけではないけど、他者から(特にヘテロ男性から)女の子扱いされることはとても嫌である。だけど男になりたいかと言われるとそういうわけでもない気がする...。なぜ私は気のゆるした女子の友達の前ではおどけてわざと愛嬌のある言動ができるのだろう。ヘテロ男性から言われたらとてつもない嫌悪感を抱かせるあの言葉を言われかねないのに。そういった言葉を言われても別に嫌じゃない人もいるなあ。私は性別によって言われて嬉しい言葉と嬉しくない言葉が違うのか?それでは私こそが差別していることにはならないだろうか...。
 ...自分って何なんだろう。
 このころから、中学生の私は性自認に混乱していきました。
 

【セクシュアリティに混乱】
 中学生くらいのときは、帰宅後の暇な時間のほとんどをセクシュアリティについて調べる時間に充てていました。当時のネット上にはたくさんのセクシュアル・マイノリティの情報が転がっていましたから、自分以外にも同性愛者やトランスジェンダー、〇〇ロマンティック、〇〇セクシュアルと、様々な種類の性的少数者がいるのだと知ることは比較的簡単でした。
 これが幸か不幸か、自分のことをレズビアンだと思わせました。小学5、6年生からの抱いている「惹かれる感情」が、いわゆる恋愛だと勘違いしてしまったためです。レズビアン当事者の記事やYouTubeの動画を見漁るのですが、部分的には当てはまるけど当てはまらないこともある。そんな感じで、しっくり来ているわけではないんだけど、でも自分を簡単に周りの感覚とは違うのだと名乗れるものがある安心感が先行して、もう私はとりあえずこれなんだと落ち着かせました。それぐらい自分にとって、この「惹かれる感情」は、大切にしたいものだったわけです。
 しかし、次第にレズビアンとは違う部分に苦しめられていきました。
 …やはり私は「惹かれる感情」を抱く人と付き合いたいとか、直接会話したいとか、ましてやそれ以上の身体的接触をしたいと思わない。じゃあ私はレズビアンでもないのか。もしかしたらジェンダーフルイドというやつなのか。だったらこの「惹かれる感情」は何なんだ。いいやデミセクシュアルというやつかもしれない。まだ親密な関係の人がいないだけという可能性も。いや冷静に考えてどんな人であろうと性的接触なんてしたくないよ。私が未熟なだけ?「惹かれる感情」と性的接触、恋愛感情との違いは?
 ...やっぱり私って何者なんだよ!
 私は自分のセクシュアリティに混乱していきました。
 

【ヘテロの思想をこちらに向けるな】
 初めて分かりやすく恋愛的なアプローチをかけられました。だいぶん自分のことを理解してきた、大学に上がってからのことです。授業が終わって教室を出たぐらいに、休んだところの教科書を見せてほしいと同学年らしき男性に言われました。このとき私はなぜ私なのだろう他に友達いるでしょ、と思ったけど、まあこんなこともあるかぐらいにあまり気にせず教科書を見せました。一通り終わったあと、あなたとずっと話したかったと言われました。私はそのとき、ああ最悪だと思いました。
 家に帰って頭の中がいろんな思考でぐるぐるしてめまいがしました。期待に応えられない申し訳なさと、どう頑張っても報われない彼の不甲斐なさと、本当に申し訳ないが彼に対して抱いてしまう嫌悪感と、このようなことで悩む私のような人間もいるのだと誰かに叫びたい気持ちとで混乱しました。きっと彼は家でどのように話しかけようかと一人で頭を悩ませたのだろうと思うと、頭が痛くなりました。
 

【アセクシュアルなのかな】
 自分自身が何者なのか分からなくてとにかく怖かったのを覚えています。友達との何気ない会話で、どこかで矛盾が出て、なにかがバレるのではないかとおびえていたような、常に自分が狼の人狼ゲームをやっているような状態の幼少期でした。特に、異性愛を当然の前提として話を進める場においては、かなりしんどかったです。
 謎の「惹かれる感情」は先のクラブの人以外にも、部活動やバイト先、大学関係の人など、様々な場面で起こってきましたし、今も起こります。
 とりあえず今のところはアセクシュアルだと思うことにしています。ですが、それだけでは説明しきれない(私の場合だと「惹かれる感情」のような)、個人特有の問題・悩みがもちろんあります。
 たしかに、自分を何かにカテゴライズすると安心します。今まで独りだと思ってきた者からすると余計そうだと思います。よく解ります。ですが、それに頼りすぎると、中学生のときの私がそうだったように、自分の大切なものを排除することになったり、その結果自分が適用したカテゴリーに苦しめられたり、副作用が強い行為なのではないかと思うんです。
 そのままの自分を受け止めることはやはり難しいですが、いかに大切なことであるかを、今これを書いていて再確認しています。
 



これを書くのに何日もかかりました…🤯

これを読んで少しでも気が楽になる人がいますように🙏

この文章は、以前私が投稿した「私は(おそらく)アセクシュアルです」の文章中の「~(以下省略)」部分のつもりで書きました。


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