個人理念について考えてみる
最近、社員やパートタイムの皆と面談をしていると、「こういうことに興味がある」「こういうことに取り組みたい」ということを、皆もそれぞれ日々考えているんだなと感心する。
ただ、どちらかというとやりたい仕事が目の前にあってチョイスしていることが多く、「自分がどうありたいか」「何に喜びを感じるか」ということをスキップしてしまいがち。
手段の目的化、というやつだ。
もちろん仕事をして人に喜んでもらって気づくこともあるだろうし、目の前の仕事に取り組むことで経験値も上がる。ただ、例えば何年かそれに没入した後にふと振り返ってみて、「本当にこれが人生の貴重な時間を費やしてまでやりたかったことだったんだろうか」と思ってしまっても手遅れだ。
皆との面談を通して、僕自身がどうありたいか、何をやっている時が幸せなのかなど、僕自身もいわゆる「個人理念」というものについて考えてみた経緯がある。はたして自分はどうなのか、過去を振り返りながら書き連ねていこう。
出口の見えないトンネル
正直に言うと、僕はフォトグラファーとして人気になることにずっと喜びを感じていた。
他の人が撮れない写真を撮って発表し、すごいと言われることが嬉しかった。
新郎新婦さんに喜んでもらうことはもちろんだけど、それと同じくらい、フォトグラファーとして評価されることに生きがいを感じていた。
それは今思えば、20歳の頃にフォトジャーナリストとして活動を始めるも、全然食えなかったことによる反動なのかもしれない。
自分は高校・大学とストレートに進学したこともあり、成人するまであまり大きな失敗というのは経験したことがなかった。
しかし社会に出たら一転、食えない仕事とはわかっていたものの、20歳の時に始めたフリーのフォトジャーナリストという仕事は、実際に体験してみると想像以上に難しいものだった。
数カ月バイトをしてはフィルムを100本ほど買い込んで、色んなサイトを調べまくって見つけたFIXの経由便の格安航空券で海外に行き、帰国後は写真を持って出版社周り。
講談社、集英社、朝日新聞社といった超大手に掲載が決まっても、数ページ分のギャラは日々の生活費ですぐになくなってしまう。
大学を卒業してゼミの同期で集まって飲んだとき、二次会のルノアールでお茶をするだけのお金も自分だけなくて、あわててコンビニのATMに走ってギリギリの残高からお金をおろしたのを今でも覚えている。
友人たちは皆、誰もが名前を知っているような一流企業に勤めていて、同じ大学を出たはずなのに、何だか居心地が悪かった。
「自分は他の人がやらないような仕事をしている」
「自分の写真で世の中を変える」
そんな立派な響きの言葉だけが自分を支えていたけど、そこまでの自信があったかと言われるとそうでもなく、海外では他にもっと若くして成功している人がいるのを知って、本当にこれでやっていけるんだろうかという不安が常につきまとった。
まるで出口の見えないトンネルの中を走っているようだった。
だから、ウェディングフォトと出会い、自分の写真を求められてお金をいただき、毎日暮らしていけるということだけでも奇跡だし、夢が叶ったような気分で、ゴールにたどり着いたような錯覚にも陥ったりした。
やがて撮影依頼が増え、人が増え、オフィスやスタジオを持って、ますます求められるようになったけど、自分が一番でいたいという思いは変わらなかったように思う。
会社の理念と個人の理念
2018年に法人化してから、会社のミッション、ビジョン、理念を定めてきた。皆の士気も上がり、同じ一つの目標を達成するために前に進めていると思っている。
しかし、あくまでそれは会社のビジョンや理念であって、個人のものではない。
「〇〇さんは将来、どんなふうになっていたい?」
「何をやってるときが一番幸せを感じる?」
面談でのスタッフへの問いかけは、自分に向けての問いかけでもあった。
そしてある日、「自分が撮影で一番のフォトグラファーでありたいということにまったく固執していない」ということに自分自身で気がついた。
それよりも、自分がこうして皆の思いを聞いて、皆が自分の夢に向かっていきいきとクッポグラフィーで働いてくれたら、それ以上の喜びってないなと、心の底から思っている。
それは、フォトグラファーというポジションをほとんど降りたからこそできたのかもしれない。
個人の理念は、時とともに変化をしていっていいものだと思う。そんな前提のもとで、今の僕は、クリエイティブに生きる人たちの才能を最大限に引き出し、自分の好きなことをしながら生きていくサポートをしたいと思っている。
だから、かつて(=自分が現場でトッププレイヤーとして活躍したいと思っていた時期)は自分の関わるプロジェクトがあって、その合間に面談をしていた(ごめんなさい)。
でも今は、まず面談でカレンダーが埋まり、ポツポツ空いたところの時間を使って、プロジェクトの仕事を進めている。
そして、気分は晴れやかだ。
こうして自分の理念をはっきり認識すると、僕がなぜ写真のポータルサイト運営や、大量のカメラマン派遣業にまったく興味がないのかも、すべて腑に落ちた。
昨日、駒沢公園スタジオのバリスタ募集の際に、未経験ながら一番早くエントリーしてくれた円ちゃんとの面談で、今まで知らなかった彼女の思いを知り、少しばかりの気づきを与えることもできた。
(休日にラテアートの練習を重ねて、今ではめちゃくちゃ美しいアートを描けるようになった円ちゃんのラテ)
話をしたからといってすぐに自分の理念が見つかるわけではないけれど、クッポグラフィーで働くことで、自分と関わることで、
円ちゃんをはじめ会社の皆が、今まで以上に個人としてはっきりとした目的のもとに、やりがいを感じながら働くことができるようになれば、それは僕がここにいる意味もあるのかなと思う。
人によって経緯は違えど、クッポグラフィーという船にたどり着いた皆が、ここで働くことで会社のミッション達成に貢献し、かつ個人の夢の実現にも繋がるような、そんな両者の関係を築いていきたい。
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