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仕事を投げ出すウッディなんて見たくなかった。『トイストーリー4』感想

いつか観ようと思っていた『トイストーリー4』を観る機会があったので、感想を書きます。ネタバレありの雑感です。

軽く自己紹介をすると、30代、男性、教員です。メンタルダウンを経験し、3年間休職しました。その後、復職し、「5年後も笑って働く」を目標にしています。よろしくお願いします。

ウッディは愛すべきおもちゃだ。彼は不完全なおもちゃだ。自分勝手だし、調子に乗りやすい。よくケンカ腰になってひどい言葉も吐く。自分からトラブルを招くこともしょっちゅうある。

でも、「子どもの幸せのために」という使命を持って行動する。その使命感とリーダーシップが、彼の愛すべきところだ。他のおもちゃがなんだかんだ彼についていく要因だ。

ただし、ウッディの「おもちゃとしての使命感」が、彼の「心からやりたいこと」なのかどうかについては、明確に描かれることはなかった。

『トイストーリー4』は、その点を描いた作品だった。

急に持ち出された「内なる声」。そして「子どもに大切にされる以外にもおもちゃの幸せはある」と教えるボーの存在。作中でウッディは、それらの影響を受ける。

※ボーは、1や2でウッディと仲が良かった女性のおもちゃ。4で再登場し、強くたくましい女性(プリンセス)として描かれる。現代っぽい。

アンディ(最初の持ち主)のために仕事をしたウッディ。そして、ボニー(次の持ち主)に譲り渡されてからも、ボニーのために仕事をしようとするウッディ。

しかし、ボニーはウッディに飽きてしまい、ウッディは押入れで過ごす時間が増える。ボニーの父親からも踏まれてしまう描写もある。それでも、ボニーのために今まで通り走り回るウッディは「仕事をしなくちゃ」「使命を果たさなくちゃ」との思いに駆られている。

ただ、ウッディはがんばれなくなっている。今までの行動原理でがんばっていても、少しずつ苦しくなっている。僕はどこまでも仕事をがんばろうとして疲弊したので、ウッディの姿に自分を重ねた。

作中ではいろんな登場人物が出てきて、ウッディ―に影響を与える。そしてお決まりの波乱万丈の展開のあとで、ウッディ―は衝撃的な選択をする。

ボニーの、子どものおもちゃであることをやめ、ボーとともに自由なおもちゃとして生きることを決心するのだ。

僕はこの選択を、すでにネタバレで知っていた。これまで大切にしていた仲間とあっさりとお別れをし、「子どものために」という自分の使命感を捨ててしまうのだ。

仕事を投げ出すウッディなんて見たくなかった。そんな感情を抱いた人も多かったのではないだろうか。

トイストーリーは3で終わるべきだった。アンディが大学生になり、いつかおもちゃに訪れる別れが来た。それは、ボニーに譲られることによって延長された。愛すべきおもちゃたちはボニーの元で幸せに暮らした。それできれいに終わり。これでよかったのではないか?と僕は思わなくもない。

でも、その4を作ったからには。その先を描くからには。

「使命感で生きて来たウッディは幸せだったのだろうか」「ウッディ、頑張りすぎて、疲れたのでは」「そろそろ、ウッディも自分のために生きてもいいのではないか」

という問いに答えを出さざるを得なかったのかもしれない。

映画の感想で、「これはウッディの子離れの物語」というキーワードを目にした。ボニーのために走り回るのをやめ、仕事を放棄したウッディ。

しかし、どうか、ウッディを許してやってくれないだろうか。

そんな気持ちになった。

ウッディの選んだ未来は、ハッピーなものではないかもしれない。

僕の身近には、「内なる声」=「自分が本当にやりたいこと」を考えすぎた結果、せっかく手に入れた大企業での安泰を放棄した友人もいる。彼は今のところ幸せそうだが、後で孤独に苛まれることもあるだろう。

僕自身は、「内なる声」と距離を取りつつ、フルタイムの仕事にしがみつく選択をした。僕はウッディにはならない。バズ側だ。

ウッディを理解し、応援し、別れたバズだ。ボニーのおもちゃとして「みんなで一緒にやっていく」を選んだバズたちの側だ。

ただ、ウッディのような選択をする人たちを、応援したい気持ちもある。

僕はウッディの選択を支持したい。応援したい。ウッディはもう十分に、使命感に従い、頑張ったのだから。

ウッディ、お疲れさま。

以上、『トイストーリー4』の雑感でした。賛否両論ありますが、あなたの感想も聞いてみたいです。僕はよかったよ。

おわり。





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