コヘレトの言葉とは
読んだぞ
この本を読んだ。
字面だけ見るとあれだが、けっこう元気に、時に我慢しつつ、時に堪え忍び、時にちょっとした楽しさがあったり生きてます。
おはようございまーす!
さて、旧約聖書の中には、創世記(アダムとイブの話とか、ノアの箱船とか)の話や、律法に関する話があるのはなんとなく知っていると思うが、実はそれ以外にも詩とか、箴言(ためになること)とかが入っている。その中で、長らく異端と思われていたコヘレトの言葉という話がある。人によっては、これを反面教師にして生きなさいなんていう人もいる。
コヘレトとは誰だ
正確にはわかっていないが、集会等で話をしていた人と見られている。(ヘブライ語でコヘレトとは集めるという意味だから。)先生みたいな感じか。
内容
コヘレトの言葉の最初は、
「空は空 空の空、一切は空である。」である。
は/もだが、なぜ異端か。それは、聖書は基本的に因果応報の考えを基にしているのに対し、コヘレトの言葉は真逆のスタンスを取っているからだ。がんばろうが、働こうが、わめこうがすべては空であるという考えである。
この「空」については、訳が変わった経緯があり、元々は「空しい」であったが、近年「空」に変更になった。
この説明だけだと、すべては虚無みたいな考えだが、この本の作者はそれは違うとしている。「空」の訳について、「束の間」と考えるのではないかと言っている。
どうなるか。
すべては束の間。がんばろうが束の間。働こうが束の間。わめこうが束の間。
少し意味が変わってくるのがわかるだろうか。
束の間だから、今を一生懸命生きよう。
そう、これは逆説的に人生を鼓舞しているメッセージなのかもしれない。(ドンドン!!!)
長い歴史の中で、異端と言われながらも、聖書に掲載されているコヘレトの言葉。先人達も上のようなことを考えていたのかもしれない。
そんな本を一日だらだらしながら読んだ。
明日もだらだらしよう。