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フレンチデートと犯罪の可能性について。


#創作大賞2023 #エッセイ部門

 カウンターに座る彼と並んでメインディッシュの骨付きのラム肉を食べる。わたしは骨をもって直接肉にむしゃぶりついた。ソースが絡んだそれはとてもおいしい。
食べている彼の口元を見たいと思う。咀嚼する彼の喉元を観察したいとも。
でも並んで座っているのでそれは難しい。
この日は、珍しくお食事だけのデートだった。
 
わたしと彼とは婚外恋愛、いわゆる不倫カップルである。お付き合いを初めて3年ほど経過した。
忙しい彼とは月に一回しか会えない。しかも長引く会議やら残業やら、仕事を装って会っているので普段リモートワークの彼が実際に出勤日に会っている。したがって本当に短い時間しか共に過ごすことができない。長くて3時間と少し。
 先日、よくあるSNSの恋愛についての投稿で、
「友達の話だが、彼と月に一回3時間しか会えないって。それって愛されてないのではないかと私は思う。好きだったらもっと時間作るっしょ」
というのを見かけた。一瞬、自分のことかと思ってドキリとした。
そんな訳はなく、全く知らないアカウントの人の、わたしとは関係のないものだった。
恋愛をしている男女には第三者には分からない色々な都合を抱えているものだと思う。
会う頻度が愛の強さではないとも考える。
最近はそのあたりの事を、若干諦め交じりに理解し流していた。
しかし、友人に彼との話をすると大抵、それじゃあ寂しいね?とか、それって恋人じゃなくてセフレじゃん、と言われる所以はその会う回数の少なさと時間の短さなんだろうと思う。
けれど、彼に会うためにはその条件を飲んで、ひたすら月に一回の逢瀬を待つしかないのだ。彼の事が好きだから仕方ない。
わたし自身、仕事もフルで働いているうえに夜勤などもあるから忙しい。
趣味も多いので時間が余っている訳ではなく、実質そんなに苦痛に感じている訳ではない。
むしろ会える間隔が長いので、彼に会えるまで待ち遠しく感じるメリットもあった。
彼の事を想い、次会うときには何を買っていこう、数時間だけれどもどんな事をしようと考えるのはわくわくする楽しいひとときだった。
 ここまで書いてお分かりかと思うが、月に一回3時間と来たらすることは大抵想像に難くない。ホテルに直行してテイクアウトの食べ物を食べてセックスする。そうなってしまう。優先事項、やりたいことをやろうと思ったら食欲と性欲を満たすしかない。
以前のわたしはこういう付き合いを嫌悪していた。食事しなければホテルには行かない、ライブやミュージカルなどのわたしの趣味のイベントにもつきあうことを相手に強要していた。好きならば、わたしの好きなものも好きになって欲しかった。
けれども今回は勝手が違った。彼の仕事は忙しくて実質的なことを聞くにとても時間はなかったし、彼は週末は家族を優先した。
付き合いだしてからそれが分かったけれど、そのとき既にわたしは彼のことを好きになり過ぎていた、手放せなかった。わたしは彼の意見を尊重した。
それでも、わたしにとって、大好きな彼と過ごせるその月に一度の貴重な3時間は、心を震わせるほどに待ち遠しく大切な時間なのであった。
 
そんなこんなで彼と食事+ホテルの時間を取ることはかなり難しく、年に一度、もっと頻度の低い事もあったくらい、食事をきちんと2人で取ることは稀だった。
たまには美味しいものを食べに行きましょうと、彼の誕生月でもわたしの誕生月でもない月を選んだ。なぜなら誕生日を祝うことはわたし達にとって禁忌だったから。
付き合いだすときに決めたいくつかの事にそれは含まれていた。わたしは賛同した。
彼の前の男性と付き合っていた時に、何度誕生祝いの件で喧嘩をしただろう。価値観というかお祝いのそもそもの概念が違い過ぎる元彼とは意見が合わず苦痛だった。
もうあんな泥沼みたいなののしりあいは嫌だった。その度にわたしはいたく傷ついて、こんなことになるくらいなら誕生祝いなんてしないほうがましだ、そう思っていたから余計に好都合だった。
 今回食事するお店は、知人のダンサーさんにおすすめとして教えてもらった隠れ家的なフレンチを予約した。
当初、彼と相談したときは、今まで食べたことのないようなものを食べたいねと話していて、猿の脳みそを食べに行こうか?とか、知らない国の食べ物を食べてみようかとか言っていたけれども、冗談ぽい会話が続いて結局具体的にどこに行こうか詰められなかったので、わたしの独断で選ばせてもらった、申し訳ない。
あまり場所については拘っていなかったが、お互いの職場からはとても遠かった。
そのフレンチは住宅街に位置していて、カウンターしかないこじんまりしたお店だった。
地下鉄の出口を間違えたわたしはとても大回りをしてしまい、そのうえ足を悪くしているので歩くのも遅く、かなり余裕をもって到着したはずなのに予約時間よりも10分以上遅刻して彼を待たせてしまった。
駅出口から徒歩3分という記述があるのに30分近く歩いていてなんだか狐につままれたようなおかしな感覚だった。
・・・・・・私が方向音痴なだけなんだけれど。
汗をかきながらもなんとか到着すると、飲み物を飲んでリラックスした感じの彼が席に座って待ってくれていて、彼の顔を見ただけで嬉しくもなんだか不思議な感じがした。こういうパターンは珍しいかも。
いや、でも日本橋のイタリアンに行ったときも、どうしても着物が着たくて仕事終わりにわざわざタクシーでカラオケ店まで移動して着替えたわたしは彼を待たせたかもしれない。
始めて行った、小さなお店に特有の、常連さんが多くアットホームな雰囲気にわたしたちは合っていたかどうか分からない。でもとても落ち着いて素敵なお店だった。
目の前のカウンターでシェフが作ってサーブしてくれるお料理は全てが美味しかった。
スープは夏らしい冷たいガスパチョ、ハーブが散らされた魚介のマリネ、ウニの乗った白身魚のフリット。思い出すとまた食べたくなってくるほど、おいしかった。
食べながら彼と話をしていたのだけれど、ちょっとおもしろいなと感じた話があった。
わたしは犯罪を絶対にしなさそう、と彼が話していた件だ。
彼と話していると、わたしのことを過大評価しすぎではないかと感じる事がある。
たとえば、あなたはとても真面目で熱心な性格ですと彼は言う。
わたしは自分のことを全くもってそうは思わない。特に職場においての事だが、わたしの職場が持つ堅苦しくて目標が高すぎる設定にわたしは付いていけてない。自分でも周囲にも、わたしがまじめで熱心だと感じている人はいないだろう。仕事がきついということもあるが。
しかし彼に言わせると、毎日朝5時前に起きて一時間半かけて職場まで通勤し、与えられた仕事をこなし、必要があれば残業もして終わらせて、夜勤にもつき、そんな生活を30年近く続けているわたしはとてもまじめ、なんだそうだ。世の中にはもっと不真面目な人がたくさんいるのだと彼は話す。彼の見ている世界と、わたしが見ている世界はどうやら違う種類のものらしい。
確かに、彼のいる世界とわたしが所属している組織のある世界は、同じ日本にある同じ時代のものなのに随分と違う。彼はデザイン系の仕事をしていて、わたしは医療系の仕事をしているが、彼もわたしも属している職場がかなり特殊だと思う、違う方向に。
そんな彼とひょんなことから知り合い、こうして数年をかけてお付き合いをしているというのはやはり考えるほどに不思議なことで、ご縁に感謝してしまう。
そんなわたしの仕事柄なのだろうか、彼はわたしがまじめで絶対に犯罪をおかさないタイプだと言う。わたしが?
それはとても意外な事だった。そもそも既婚者である彼にこうして密やかに会っていることすら犯罪に近いと感じているのに。
わたしは、今まで自分が犯罪を犯さずに生きてこれたのはたまたまであると思っている。ひとえに、周囲の人が温厚な性格なお蔭と思って感謝している。
実家に住んでいる時には、外から見たら全く問題のないように見えて実際は父の独断政権であり、虐待すれすれの一触即発の殺伐とした実家をあのまま出られなかったら親を殺すか自分が死ぬかだと考えていたし、複数恋愛を相手の承諾を得ずに勝手にやってきた時代は、いつか自分は殺されるか痴話喧嘩の果てに相手を殺してしまうのではないかと思うほど激しいやりとりの恋愛をしてきた。それくらいヒリヒリした恋愛が、生きる醍醐味だと思ってもいた。
性格も短気で直情型であるし、思ったことをすぐに言ってしまうたちのわたしはお付き合いをしてきた人と喧嘩が絶えなかった。
温厚で大人な彼とは、あまり喧嘩にならない。
例えばインベカオリさん著の新幹線無差別連続殺人犯のルポルタージュなどを読んでは、犯人のおかれた環境とどうにもならない心情に同情した。
また、映画や小説などの犯罪をモチーフとしている作品にはどちらかというと被害者よりも加害者に同情してしまう方である。
しかし実際に犯行をおかすことと、そう思うだけというのは全く別である。
彼に、犯罪をしなさそうだと言われることは犯罪をおかしそうな人だと思われているよりも良い事だろう。(そもそもそんな相手とはおつきあいをしないだろうけれど)
 
わたしはお酒が入ったせいかなぜかとても愉快な気持ちになってきて、彼を相手に犯罪をおかすとしたらどんなことがあるだろうと考えた。我ながら性格が悪い。
奥さんに2人の関係をばらす?それとも大事な愛娘を誘拐する?
確かにそんな小説があった。
しかしそんなことをしたら大好きな彼との関係性が破綻してしまう。それは避けたい。それにわたしは誰かを傷つけたい訳ではなかった。もっとひっそりできることはないか。
彼が好きなあまりに、彼のことが永続的に欲しいあまりに犯す犯罪とは何か。
 
例えばである。こういうのはどうだろう。彼の一部を永遠に手に入れる方法。
 
わたしたちは付き合った当初から性的な関係を持っている。
わたしは最早そのために生きていると言っても過言ではなく、彼とのキスもセックスも、それはそれはとろけそうに甘美で素敵なものだった。彼は高身長に甘いマスクと、ビジュアルが魅力的なだけでなく、触り方も優しくて自分がまるで宝石のように大切にされているような気持になる。
セックスをしている間だけは、自分はとても愛されていて最高に幸せであるという感覚に陥る。それは脳内麻薬が見せている幻想なのかもしれないけれど、それはもうどちらでもよかった。
数回そういった関係になってから、わたし達は避妊具、所謂コンドームを使うことをやめた。というのはわたしはもともとピルを服用しているからだ。
そもそも薬の服用は避妊の為ではなくてPⅯSの予防のためと、子宮筋腫が大きくなるのを防ぐためであったから、避妊は副産物であった。それでも、妊娠は防ぐことができても直接的な粘膜接触をするということは性病は防げないので、相手の健康状態や交友関係などを信頼しているからこそできることだった。
そう、この関係、主に肉体関係は、相手を信用しているからこそできていることなのである。一糸まとわない姿になり全てをさらけ出し、汗や涙や愛液や精液や、あらゆる体液の交換であるこの行為は、よほど相手を信用していないとできない。
 
月に一度の甘美な逢瀬で彼と夢中になって抱き合う。
ふたりとも絶頂を迎え、彼の体液をわたしの体内に放出されたままわたしは帰宅する。いつも、その彼の一部を自宅の浴室で洗い流すときに、なんとなく残念な気持ちになる。たとえそれが帰宅時の混んだ地下鉄で垂れ落ちてきて下着を汚したとしても、それは「愛する彼の一部」であるので、わたしにとっては汚さや嫌悪感など感じないのであった。
 
そこでわたしは思いつく。彼の一部を自分に取り込む方法を。
彼と会わない日常、数週間に渡って明確な意図をもってピルの服用をやめる。
彼の精液はわたしの体内で目的を持って逆流していくだろう。卵子を求めて。
そこでわたしが受胎できたとしたら。
彼の遺伝子をわたしは得たこととなる。夫とは10年以上のセックスレスであるから相手は明白だ。
彼の遺伝子をもつ子を孕んだとしたら、わたしはその子を愛情をもって育てるであろう。男の子であれ、女の子であれ、彼の遺伝子を受け継いだ子はどんなにかわいいだろう!
娘はもう成人するし、わたしは夫の経済力に頼って生活をしている訳ではないから怖いものなどない。
それはとても愉快な妄想であった。
 
「どうかしましたか?」
はっとして我に返る。目の前に彼の笑顔がある。
「いえ、なんでもないです」
そこまで考えてわたしは頭を振った。
 
とんでもないことだった。
わたしはグラスに残ったワインを飲みほした。
わたしが仮定したその「犯罪」は彼を騙すだけではなく、彼からも自身の家族からも全ての信用を損なうものである。
そもそもこんな怖くて気持ち悪いことを考えているだけで彼から嫌われてしまいそうだ。妄想はあくまで妄想であるから甘美なのかもしれない。
 
なんてことだろう!わたしは犯罪者予備軍である。
まったく犯罪などおかさなそうだ、と言ってくれる目の前の彼に申し訳なかった。
 
そもそも、絶対そんなことなどする筈がない、と彼がわたしを信頼してくれているからこそ今の関係が続いているわけで、実際にそんなことをわたしはしない。
でも実際にこういうことをしようと思ってしまったらできてしまう可能性もあるわけで、女って怖いな……自分でも恐ろしくなる。
それは相手の家庭も人生も、自分の家庭も人生も、全てをぶっ壊す恐ろしい犯罪であった。あくまで妄想なのに、である。
 
わたしは今目の前にいる彼の存在すら、妄想であったらどうしようと考える。
彼の実在はほんとうにはなくて、わたしは理想の男性を作り上げて毎月SNSにデートの様子をあげたり行為の詳細を考えて文章にしていたとしたら。
脳裏で構築するリアルな具象と、現実世界の境目はどこなのだろう。
 
実際にわたしも彼も今ここに存在している。
その存在を確かめあうようにいつもは体を重ねるのだけれど、今日はそれができない。
完璧においしいデザートも食べ終え、お店を貸し切りにしてしまったかのように店にはシェフであるマスターとわたし達しかいなくなる。
暫し雑談などをしてから、おいしい料理のお礼をシェフに伝えるとドアを開けて店の外に出た。とても充実した数時間だった。おいしい料理を彼と味わい、感覚を共有できた。
ワインを数杯飲んだわたしは少し酔っていて、いきなり夜の中に放り出されたようなこの感覚。
先ほどあげた密かな「犯罪」、こんなことをわたしが考えているなんてこの世の中の誰も知らない。
6月のまだ梅雨も終わっていないこの日の夜、雨上がりの道路沿いは湿度がもの凄くて、駅まで歩くだけでまた汗で首回りがじっとりとしてくる。
彼は、じゃあ、また、といつものようにさわやかに手を挙げた。
ほんとうはコーヒーでもいかがですかと誘って少しでも長く彼と一緒にいたいと思うけれど、時間が微妙でそうすることもできなかった。
わたしもじゃあ、またと頭をさげてぺこりと会釈をすると、帰りはJRの駅の改札に滑り込んで帰宅する人々の雑踏に紛れていった。
今日はごちそうさまでした、ありがとう。
今月は、さよなら愛しいひと。また来月。
彼は絶対にわたしのものにはならないし、たとえ一部をでも自分のものにもできそうにない。
でもだからこそ惹かれるし、短い時間でも会いたいと思うのかもしれない。
 
お互い会いたいと思わないと数時間でも会えない、脆くて危うい関係性に永続性を持たせたいと思うあまりに思いついた脳内での犯罪であるが、実行に移す可能性は限りなく低い。
その壮大な可能性は素晴らしいのだけれど、考えてみると失うものとリスクが大きすぎた。そもそも自分のこの年齢で妊娠すること自体が不可能かもしれない。
おいしい食事を食べながら内心こんなことを考えている自分が不穏で、かつおかしかった。あまりに穏やかで優しい彼の笑顔を思い浮かべ、わたしは罪悪感に駆られた。
今度はいつになるか分からないけれど、彼となにを食べにいこうかな。
そう考えると、また楽しい気持ちになってきた。
わたしの密かな犯罪の可能性は、湿度の高い東京の夜に吸い込まれていった。
 

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