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僕の歩いてきた道(浅)#1【誕生、そして保育園】

僕は広島東洋カープが初優勝した年、そしてちょっとだけ暑くなったかもしれない季節に、広島で生まれました。

ある家の長男と、またある家の長女の間で生まれた初めての男の子。その記念に母方の実家の庭先に一本の柿の木が植えられました。今はもうその木もないですが、そのことを少し大きくなった時に聞き、なんだか嬉しい気持ちになったのを覚えています。

そして、その時は築100年いったかどうだったかの2階建ての家に住んでいて、1階には父方の祖父母、そして祖父の妹が少し離れに、そして2階には両親と僕のが住んでいました。(食事やお風呂は基本的にはいっしょに1階で)

中庭には鯉がいて、いつのころからかインコ(ピー子だったっけ)も飼っていた記憶があります。(たぶんビデオカメラにも残ってた)チョロという名の猫も飼っていた時期もあったなあ。

僕が産まれてしばらくはともかく、両親は基本的には共稼ぎだったので、3歳になるごろには保育園に通うことになり、親や親戚、ご近所以外の新しい出会いがはじまります。

いちばんの年少のひよこ組はいつも年配の女性の先生といっしょ。具体的なことはほとんど覚えてないですが、ちょっと足が悪かったけど、とてもあたたかくて優しい先生でした。

ほかのお友達のことも覚えてることは少ないけど、みんなとおやつのじかんのこと、その中の1人の女の子と「ミルクの膜がおいしいねー♥」みたいなそんな他愛のない、というか謎な話をしたことだけはなぜかおぼえています(笑)

そして、ひよこ組以降はもはや何組だったかはわからないけど、1年ごとに新しい組にあがり、友達もできたり、ちょっと年上のお兄さんと仲良くなったり(ちょっと兄貴分)、みんなとドッチボールしたり、お昼寝したり(仏教系のとこだったので仏壇の前で布団敷いていた)、お泊り会なんかもあったり、楽しい記憶でいっぱいの保育園時代でした。

そんな保育園に通いながらも、僕が生まれて約2年後に妹が生まれ、そのまた2年後ぐらいに弟が生まれ、なかなかにぎやかな家族になってきました。


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久遠さつき
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