2016年春 背番号94との出会い

2016年5月、私は環境に馴染めず防衛大学校を辞め、途方に暮れていました。
心身共にボロボロでそこから数ヶ月、引きこもり生活をしてました。当時から阪神ファンではあったものの、シーズン途中で阪神が失速すると見るのを辞める一年を繰り返していました。
引きこもり生活の中、偶々阪神を見ていて、何故か惹かれる選手がいました。
原口文仁、背番号94、何故かその背中に夢中になっていました。
最初は父から話を聞いていた伝説的アーチスト田淵幸一に彼の背中を重ね合わせていたのかもしれません。
育成から這い上がり、月間MVPやオールスター選出、そんな不屈のシンデレラボーイの背中に勇気付けられて、引きこもっていた私は再び受験勉強する力をもらい、神戸大学に合格しました。
2017年、チーム1号のサヨナラホームランを彼が打ちました。打つんじゃないかなって思ったら本当に打って、打った瞬間のキラキラした瞳が本当に好きで、今でも時々見直しちゃう位には大好きなシーンです。
しかしその後は成績不振でレギュラー落ちし、ファンとしても歯がゆいシーズンとなりました。
2018年、彼は勝負強さを活かした代打の切り札として起用される様になりました。重要な局面を任せられるのはやっぱりカッコイイなって思ってました。代打の神様と呼ばれた桧山選手に並ぶ球団シーズン最多代打安打を記録しました。
この頃私は役者や制作に奔走していて、あまり阪神の試合が見れていませんでした。
そして2019年春、原口選手は大腸がんを発症し、選手生命どころか命さえ危うい状況に陥りました。この知らせを聞いた時本当に頭が真っ白になったのを覚えています。生まれてはじめて本当に好きになった野球選手が居なくなってしまうのでは無いか、そんな不安を抱きながらも、彼なら必ず帰ってくる、そう信じて待ち続けました。
5月に実戦復帰した際は二軍の試合を毎日チェックしていました。6月、二軍戦でホームランを打った数日後、彼は一軍に戻ってきました。
そしてその日、彼はいきなりタイムリーを打ちました。打席に立っているだけでも涙を流していたのにヒットを打って活躍する姿は本当に涙が止まりませんでした。
そして、オールスター
彼は最後の一人、プラスワン投票で選ばれました。成績等からこの選出には賛否両論ありました。私はリアルタイムはできなかったものの、蓋を開けてみれば彼は2本のホームランを打ちました。
特に、甲子園で打ったホームランは、12球団のファンから祝福される姿は本当にかっこよかったです。
その後、コロナ禍の世の中となり、野球観戦すらままならず、野球を楽しむのも難しい世の中となりました。
私自身も野球を見るタイミングが中々無い日々が続きました。ただ、派遣バイトで何回か甲子園に出入りしたりはしてました。
2022年秋、コロナ禍も大分落ち着いた頃、私は本当に久しぶりに観客として甲子園に行きました。理由は一つ、この時期スタメン出場していた原口選手を見に行くためでした。公式戦は何年ぶりか分からない位の純粋な野球観戦、原口選手はヒットを放ち、活躍を見せてくれました。
そして今年、原口選手は再び代打の切り札として開幕を迎えました。開幕3戦目こそチームシーズン初ホームランを放ったものの、その後は思った活躍ができず、二軍落ちも経験しました。
しかし、交流戦後半に一軍復帰すると少しずつ活躍を見せてくれました。またオールスター後は試合開始前の声出しを担当すると、チームはどんどん調子をあげていきました。
8月10日、私が妻と結婚したこの日、何の縁か彼はホームランを打ちました。私にとって本当に嬉しいお祝いでした。
そして今日、阪神は優勝しました。今まで悔しい思いをしてきた彼、決して主役ではないこど、チームの為に彼が尽くしたことも優勝には必要だったと思います。大腸がんで死さえあり得た彼が歓喜の輪の中にいることが本当に嬉しかったです、おめでとうございます。
7年間見ていた彼の背中から、主役以外にも意味がある。それを改めて感じました。
これからの演劇人生、主役ばかりじゃないかもしれないけど、原口選手みたいに座組というチームに貢献できることを全力でこれから頑張りたいと思います。

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