見出し画像

Back to the late 90’s【番外編】第11話 大阪における当時のHIPHOPとREGGAEの関係③HIPHOP vs REGGAEによる被害

HIPHOPとREGGAEが「水と油」状態ゆえに、その被害を受けてしまった事がある。ここでは当時を振り返りながら、主に2つの事柄について書き下ろしたい。


まず被害にあったのが、HIPHOPとREGGAEを融合させた『RAGGA-HIPHOP』と呼ばれるジャンルだ。こちらのジャンルを簡単に解説すると、REGGAE DEEJAYがREGGAEのオケではなくHIPHOPトラックにのせてDEEJAYしている曲を指す。この『RAGGA-HIPHOP』が誕生した背景として、ジャマイカのREGGAEアーティスト達が、ワールドワイドなマーケットを相手するにあたり、まず手始めにアメリカのHIPHOPマーケットに食い込む為に、用いられた手法が「HIPHOPトラックにのせて、歌ったりDEEJAYしたりする」やり方だった。




面積が日本の秋田県と同じぐらいの島であるジャマイカのアーティスト達が、当時世界的な成功をおさめる為には、まずアメリカのHIPHOPマーケットに食い込み、売れる事が常識とされていた時代、アメリカの大手メジャーレコード会社のスカウトマン達は、ジャマイカのREGGAEアーティストに「HIPHOPトラックで曲をつくるように」と言う事を強要させていた。そこで数多くの『RAGGA-HIPHOP』が誕生したのだが、これはジャマイカ出身のREGGAEアーティスト達の大半が、望んでいたものではなかった。




一例として興味深いのが、当時ジャマイカで若手REGGAE DEEJAYとして人気があったGENERAL DEGREが「HIPHOP?あー、ダメダメ、苦手なんだ」と拒否反応をおこしたり、ベテランDEEJAYのJUNIOR DEMUS「REGGAE DEEJAYである限りは、ハードコアなREGGAEで世界のマーケットと勝負しなきゃいけない」と言うような主旨の発言をしており、これらが如何に『RAGGA-HIPHOP』やHIPHOPを嫌がったり、認めていなかったのが、よくわかる。

1996年6月10日発刊された『REGGAE MAGAZINE』53号。CUTTY RANKSの顔写真の下部に「N.Y REGGAE × HIPHOP」と書かれている通り、当時のHIPHOPとREGGAEの関係や関連性について詳しく分析されている。
『REGGAE MAGAZINE 53号』26頁に今もライターとして活躍されている高橋芳朗氏と、「結論から言おう」の書き出しでお馴染みの今は亡き敏腕ライター二木崇氏がふるってHIPHOPとREGGAEの関連性を専門的に分析してくれている。
上記のGENERAL DEGREとJUNIOR DEMUSの発言は、とても興味深い。


この『RAGGA-HIPHOP』を当時HIPHOPイベントで選曲すると、まずフロアで踊っていたダンサー連中の動き止まりオーディエンス達も足が止まった。そのうちにフロアから人が引いていく姿を度々目にした。そしてHIPHOP DJ仲間からの冷たい視線が刺さってきたのだ。これと同様の現象がREGGAEイベントでも当時起こっていた。



次に被害にあったのが『RAGGA-HIPHOP』の第一人者とも言うべきアーティストMAD LIONだ。これは当時、大阪のHIPHOP界とREGGAE界の両方のDJやセレクター、はたまたオーディエンスなど、ほぼ全員が「嫌いなアーティストの名前は?」と言う問いに対して満場一致でMAD LIONと答えたのではないだろか?(苦笑)。それぐらいあちらこちらから「MAD LION嫌い」と聞こえたように思う。SHINEHEADはOKなのに(笑)。

MAD LION
あくまで「当時MAD LIONは受け入れられなかった」だけで、現在では90年代を選曲するイベントで『RAGGA-HIPHOP』は、HIPHOPとREGGAEの両ジャンルで受け入れられるようになり、MAD LIONの楽曲もご多分に漏れず選曲すれば盛り上がりを見せる。


MAD LIONが嫌われた理由として、HIPHOP業界とREGGAE業界で異なるのだが、嫌う理由の本質部分に共通点を感じた。これが大変興味深い。まあ、あくまで「私が感じた事」と断りを入れた上で、論じてみようと思う。



HIPHOP業界からの意見として、MAD LIONが嫌われてた理由は、そのアクの強過ぎるダミ声とREGGAE DEEJAY特有の節回しが原因だ。HIPHOPのラッパーでMAD LIONほど強烈なダミ声を持つラッパーは、MAD LION以前だと1994年にデビューしたブロンクス出身のNINEぐらいしか思い浮かばない。



REGGAEサイドの人にもわかりやすく例えると、イギリス出身のREGGAE DEEJAYであるSWEETIE IRIEとよく似た声質をしている。



HIPHOP側の意見として「NINEはカッコ良いが、MAD LIONはアカン!ダサいねん!」と言う声は、あちらこちらで聞いた。これは単にHIPHOPとREGGAEにおける好みの問題と言えばそれまでだが、HIPHOP業界者にダミ声を受け入れる人が当時まだ少なかったのではないか?これがやがてHIPHOPシーンでDMXやJA RULEと言ったダミ声で、少しRAGGAっぽい歌い回しのラッパーが売れ始める2000年代前半になると、そう言った声は次第に聞こえなくなったのだがー、2000年以前ダミ声のHIPHOPアーティストの元祖はNINEでMAD LIONは偽物と言う扱いだった。まあ、細かい事を言えば英語とパトワ(=ジャマイカ英語)とでは色々と違うのがー。



一方REGGAE業界からMAD LIONが嫌われた理由で私が思うのが、BUJU BANTONの存在だ。今でもカリスマ的存在のREGGAEアーティストとして名高いBUJU BANTONだが、90年代のDANCEHALL REGGAEシーンを語る上で、BUJUの人気と存在感は別格と言ってもいいだろう。



BUJU BANTONの人気の高さは、ヒットもさることながら、BUJUに似せてDEEJAYするアーティストが数多く登場した事が物語っており、一番BUJUに似ているMEGA BANTON、本家(そもそも『BANTON』と名乗った最初のアーティストはBURRO BANTONだが、BUJUがBURROにあやかってBANTONと名乗った事で、BURROが注目を浴びたと言っても過言ではないだろう)のBUJUより強烈ダミ声のJIGSY KING、またBUJUほどの迫力はないが、BUJUがシーンに登場して以降のダミ声DEEJAYとしてTERROR FABULOUSやDADDY SCREW、そして日本でもHAGA君(HAGA RANKS)が登場する。


ただこれらのアーティスト達、あくまで本家のBUJUを超える人気や支持を得る事は難しく(HAGA君は日本語なので別にして)て、それが特に日本となれば、リリックも大半の人達が聞き取れない中なので、BUJU以上の人気を得るのは困難を極めた。それに日本人の感覚として「モノマネ」は、あくまで「モノマネ」であるので、モノマネする側が、モノマネされる側を超えると言う事はなく、それ以上に歌い手として支持される事はあり得なかったのだ。例に例えると「宇多田ヒカル」を「ミラクルひかる」が超えられないのと同じだ。極端な例え方になるが......(苦笑)。

HAGA君(HAGA RANKS、写真中央)を挟んで左側が筆者、右側がオーガナイザーのKAZ爺さん。


話が少しそれたが、そんなBUJUフォロワーの1人としてHIPHOPサイドから登場したアーティストこそMAD LIONだった。MAD LIONの初期ヒット曲『Real Lover』は、HIPHOP SOULの女王MARY J. BLIGEの名曲『Real Love』をまんまサンプリングした曲なのだが、リリースされたのが確か1994年で、この曲でMAD LIONのフロウや声はBUJUからの影響が少ないのが聴くとわかる。「シーンで今以上に売れたい!そうするにはどうすべきか?やはり売れるために自分本来の声やスタイルを変えなければ」とMAD LIONが思いついたのが、BUJU BANTONのスタイルだったと思う。まあ、これはあくまで私の推測だか(苦笑)。


それからMAD LIONは、1995年にハードコアなアルバム『Real Thing』をリリースする。全編に渡りハードコアなRAGGA-HIPHOP100%のアルバムで、MAD LIONの声はダミ声にシフトチェンジをしており、BUJUからの影響は否めない感じだ。



上記で述べた通り、日本人の感覚としてモノマネがオリジナルを超える事はなく、同じ歌い手と言う土俵において支持される事は、厳しいとしか言い様がないだろう。そんな中、MAD LIONがHIPHOPビートにのせたダミ声REGGAE DEEJAYスタイルに、当時のREGGAE業界者達は拒絶反応を起こしたのだ。そして、その反応はHIPHOP業界でも同様だった。


以上HIPHOPとREGGAEの業界者に共通してMAD LIONを嫌う理由を私なりに分析してみた。元祖ダミ声ラッパーNINEの存在と、偉大なREGGAEアーティストBUJU BANTONの存在、その両方の業界から「二番煎じ的アーティスト」としてレッテルを貼られ、煙たがられたMAD LIONへの風当たりが特に厳しく感じたのは、決して私だけではなかっただろう。

つづく......

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?