1995.8.6「Reggae Japansplash'95」舞洲スポーツアイランド
OSAKA RECORD MARKET
8月27日、28日は大阪/此花区にある、おおきにアリーナ舞洲でOSAKA RECORD MARKETが開催されました。関西のレコード店中心に全国から出展。そしてスペシャルゲストDJにKING OF DIGGIN'ことMUROさんがDJをされ、大いに盛り上がっていました。
Reggae Japansplash
「舞洲で音楽」と言えば個人的に忘れられないのが、80~90年代にかけて毎年夏になると開催されていた大型レゲエ・フェスReggae Japansplashですね。舞洲スポーツ・アイランドで開催されるようになったのが、私の記憶が確かならば1994年からだったと思います。
ジャンルの確立
レゲエがジャンルとして日本のポップス・ミュージックの一角に認知されるようになったのは、2001年以降だと思います。2001年と言えば、日本のレゲエDeeJay(※レゲエは歌い手をシンガーとDeeJayに大別できます。三木道三のスタイルはレゲエDeeJayと呼ばれ、ラップのスタイルの原型とされる“トースティング”とも言われています)三木道三が「Lifetime Respect」をリリースし、それが見事オリコン・チャート首位に輝いた記念すべき年でした。
それ以前の日本におけるレゲエ・シーンは、所謂アンダーグラウンドな時代。大なり小なりブームはあったにせよ、日本人アーティストのみでフェスを開催するなんて発想が、まだまだなかった時代で、毎年夏になるとジャマイカやイギリスからレゲエ・アーティストを大勢招いてReggae JapansplashとReggae Sunsplashが開催されていました。
Reggae Japansplash'95
今回は、そんな思い出の中から、27年前の1995年8月6日に開催された「Reggae Japansplash'95」へ皆様を招待したいと思います。何を隠そう私が初めて行った大型野外レゲエ・フェスこそ、このイベントでした。
最寄りの駅からJRに乗り込み、大阪環状線西九条駅経由で桜島駅へ。そこの改札を出ると、会場となる舞洲スポーツアイランド行きのジャパスプ専用バスに乗り出発。乗客は20代の若い男女が中心で、皆イケイケ!レゲエ・ファッションに身を包み、編みシャツのルードボーイやボックスヘアー、ドレッドのお兄さんがたくさんいました。
当時私は高校2年生で、回りに誰一人レゲエ好きがおらずだったので、単独で会場へ乗り込みましたが、ルードボーイやヤンキー風のお兄さんに絡まれないか少々ビビっていました(笑)。15、16歳から見れば20代てスゴい大人ですしね。けど自分は当時からガタイもよく、イカツイ顔だったのて、余計な心配でしたが……(苦笑)
FUTURE TROUBLES
前座で大阪のレゲエ・サウンドが登場しマイクを握っていましたが、誰だったかは、うる覚えです。そうこうしているうちにトップに登場してきたのがFUTURE TROUBLES。当時勢いがあった若手レゲエDeeJayで「ハヤハヤ~!フー!」と自分のヒット曲「Kung Fu」を歌いながら、ステージの照明の柱によじ登り、パフォーマンスしたのはインパクトがありました。
PAM HALL
次に登場したのが女性シンガーPAM HALL。WHITNEY HOUSTONの「I Will Always Love You」をカバーさせ、大ヒットさせた彼女のステージは、クールでした。もちろん「I Will Always Love You」も演じてくれましたね。
その後も、沢山のアーティストが登場し、様々なパフォーマンスしました。それらの記憶から、特に印象に残っている事や、今でも後悔している事を、いくつか取り上げます。
Lt.STITCHIE
印象に残っているのは、Lt.STITCHIEが、登場と同時に、当時ジャマイカのVIBES HOUSEと言うSHOCKING VIBES傘下のレーベルからリリースしヒットさせた「Chat Bout」を歌ったこと。当時、私はこの曲にハマって大好きでした。
また他に印象に残っているのは、BRIAN & TONY GOLDとCHEVELLE FRANKLYNを生で観れた事。
BRIAN & TONY GOLD
前者は、のちにSHAGGYと「Hey Sexy Lady」が世界的に大ヒットしますが、この頃は、様々なアーティストの曲にコーラスとして参加し、裏方的な役割が多かったですね。歌の上手さはピカ一だった彼等が、RED DRAGONと「Compliments On Your Kiss」をヒットさせたのは、とても嬉しく、私自身もよく好んで聴いていました。もちろんジャパスプのステージでも演じてくれました。
CHEVELLE FRANKLYN
後者のCHEVELLE FRANKLYNは、「良い歌い手だなあ」と私が思っていたアーティスト。その彼女が来日してくれたのは、とても嬉しくて、当日はパフォーマンスを楽しみにしていましたが、確か3曲、4曲でステージが終わった事が残念でした。この来日の2年後に彼女はBEENIE MANとの「Dancehall Queen」が大ヒットします。
JOE HIGGS
後悔しているのは今は亡きJOE HIGGSのパフォーマンスを真剣に観なかった事。JOE HIGGS、言わずもがな、あのレゲエの神様BOB MARLEYの師匠として知られる偉大なる歌手ですが、当時ダンスホール・レゲエ命だった私は、JOE HIGGSのパフォーマンスを観るや否や「なんやこのジイさん。古くさいルーツばかり歌って、退屈やな。ちょっと休もか」と炎天下の会場をあとに、外れのテントへ休憩しに行ったのでした。もちろん名曲「There's A Reward」は聴こえてきましたが、ちゃんと観ずだったのは、今も悔いてます。
と、盛り沢山のReggae Japansplash'95 は、27年経った今でも、私の脳裏に焼き付いています。毎年夏になると、ジャマイカやイギリスからレゲエ・アーティストが多数来日し、パフォーマンスを観せてくれたJapansplash。これを観た3週間後の8月27日には、猪名川総合運動公園にて開催のReggae SunsplashでBUJU BANTONとWAYNE WONDERを生で観ました。今思うと、夢のようでしたね。いやあ、良い時代でした。
時を経て
実は、このJapansplash'95についての記事を、先にInstagramで発表したところ、なんと上記のCHEVELLE FRANKLYNやLt.STITCHIE、それにPAM HALLやBRIAN & TONY GOLDのTONY GOLDが私にリアクションをくれたのでした!
いやあ、嬉しいものですね。本当に有難い限り。時を経て、彼等と会話できるだなんて、夢のような話です。良い時代になったと痛感する今日この頃でした。
最後まで、お読み頂き、ありがとうございました。