禅の指導法の違い、それぞれの人にお勧めの禅籍と修行法

前も未掲載のノートにも書いたけど
初心者は禅籍、ピンとくるものをまず一冊読んでみるといいです
質問も出てくるでしょう
スティーブ・ジョブズとかも禅僧に参禅し修行してますよね
(途中の人ですけど)

悟り、悟るというのは
言葉の意味は普通はと言いますか何かの深い意味や事柄を深く理解するといったようなことで
では釈迦はなにを悟ったのか、仏教の説明する悟りとは何か
理解にとどまるものではないですよ

禅宗は
直指人心 見性成仏
不立文字 教外別伝

自心を徹底自覚(途中辺色々ありますよ)したものが仏ですよ
(公案集、臨済録、十牛図、証道歌、さまざまありますよ。僕も様々、何度も読み込みましたし、参禅者の修行録も様々読み込んでます。一切読まなくても究極を悟れる、これはどういうことか。古来からの禅師も経論律を綿密に研究しているのがほとんど、悟った後、人を指導するときまた戒律とかが重要になってきたりもしますね)

目的は同様のことを釈迦仏教(スッタニパータをお読みください)
も教えているですよ

初期の釈迦仏教については
縁覚つまり試行錯誤型には自らの修行の流れ、つまり12因縁の思考で根源を追求していく修行の過程から解脱までを説明して
声聞つまり教えを聞いて修行していくタイプには
四諦(明らかにするという意味)八正道として
教えと修行法をまとめた物を使って指導していたんですよ
言行録にスッタ・ニパータがありますけど

各所に修行所をもってインド亜大陸を遊行しながら
出会う人や壊れた人、修行者、王族等々に説法していったんですね

釈迦が真に覚者であるがゆえに
言っている説法は正解なんですよ
そこから周りの人間に出だす弊害は
形骸化ですよ
なまじ正解であるがゆえにその教えは絶対になって
釈迦は絶対になって
本質追求が行われていなかったりする
(これは釈迦に背いているんですよ)
禅では
蹄兎(ていと)の異名に喩(たと)え、筌魚(せんぎょ)の差別(しゃべつ)を顕わす。
つまり教えはウサギを捕まえる罠ですよ、ウサギを捕まえたら不要なものです(基本自らには)、魚をつかめる籠とか
籠が重要なのではなくて重要なのはつかまえる魚ですよといってる
じゃこれまで読んできて仏教の教えはなにを捕まえようとしているかは
しっかり読んできた人間はわかりますね(といってもわかるにも深さがあるんです、究極わかるもないんですよ、という理解)

三法印なんて教え方になると
諸行無常
諸法無我
寂滅涅槃


これも説明であって本質追求が仏道修行=禅修行ですよ
途中辺で違うものを違うといっていくんだけど
それが究極な訳ではない

禅はこれはこれで究極ですから早く悟る場合があっても
禅師ですら10年位様々修行をしています。
悟ったと誤認するひとどころかそれ以前の人も多い
そもそも禅とは何かをまるで知らないのに何か喋るんですよ

例えば、コップを説明しようとしたときに
何かの流れでそれはリモコンではないっていったとき
コップはコップであってそれを伝えているのであって
リモコンではないは途中の間違いを間違いといっただけの話ですよね
禅についてこういうのも多い、本当に一冊でも禅籍読みましたかと
これは例え話ですよ(こういうのも誤解の元だよね、必ず間違った理解をするのが出る)


先生や師匠、達人に
まちがった理解に基づく非難論難が来るのは
相手が初心者、初心者以前とかでもあって
仕方がないし、ぶん殴る以前
足ぶちおった正師もいますよ(悟る直前の人間に)
こういうのは極端な事例なので
特に日本でそんな目に合うことはまずないですよ

未熟者を
指導するのが師とかだけど
説明するとか


おすすめ、ここらからピンとくるのに参禅してみるとよいです


参禅は人里離れて静かなところが修行しやすいのでしょう
(もちろん十字街頭で力を発揮できなきゃ修行不足ですよ)
修行中の参禅者もいますから、あまり、よくある人気のケーキ屋みたいな騒ぎ方をメディアでしない方が良いです(しみPは例外かもしれない)
そもそもする気もないでしょうけど
落ち着いたまじめな環境で質問したり、話を聞くのが良いです

自然老師


前にも言ったけどしみP



松本自証老師


坐る会


玖延寺


耕月寺

五十部友啓禅師

ダルマサンガで修行を完成させた禅僧の方で
若手で僕が最も信頼している人物ですね

松門寺

以前にも説明してきましたからそちらもご参照あれ

いづれ、一冊分ぐらいにまとめて書きますよ(本当に究極のをね)

円覚寺


各国

欧米には戦後しばらくあたりから仏教東漸というような状況があります
(それ以前にも初期経典をあちらの哲学者が読んでいたりしますけど、ハイデッガーが初関は透過したぐらいでしょう)
どこでもそうですが最初に書物が入り
途中辺の人物が出てきて
真の覚者が出るという流れですが
(通常、正しい師の下で修行します、正師があちらに行ったり、あちらから正師の下に参禅しに来たりですね)
悟れる人材がいてここら辺にまず来る可能性は高いですし
その後、日本に参禅に来る可能性も高いね
それとあちらの禅僧の方も法衣(日本の着物の一種 )これは体を締め付けないので坐禅しやすいんですよ

東洋人もビジネスではスーツを着ますよね(動きやすい)

アメリカ

禅センターとかいいますよね
途中辺の人しかまだ出ていなかったと思ったけど
最近はどうでしょうね

New York Zen Center

Zen Mountain Monastery


ヨーロッパ

中国

清の時代にほぼ絶えたでしょう
今も中国には禅寺があるみたいですね
復興が切に望まれます

ロシア

禅寺とかあるみたいですね

インド

達磨大師のあとあたりでもう徐々に絶えたでしょう
復興するとよいですよね
インドの場合は他の唯識とか大乗とか
指導法が様々確立しましたから(大枠でコーカソイド人種の中で)
今のインド人もそれを使えますし
禅でも良いですし



続く

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