教育困難校に対する思い
9月に入り、北海道はようやく涼しく感じられる季節になりました。
記録的な暑さが続いた8月でしたので、
やっと北海道らしい気温になった気がいたします。
さて、
私の大好きな予備校講師に荻野暢也先生という方がいらっしゃるのですが、
その先生がおっしゃっていた言葉をご紹介します。
や、何を当たり前のこと言ってんのと思うかもしれませんが、
実はけっこう当たり前ではないのかもしれません。
私はこれまで偏差値の低い高校、
いわゆる教育困難校と呼ばれるような学校には赴任したことがありません。
ゆえに、授業が成り立たないといった経験もこれまで一度もございません。
私の授業をしっかり聞いてくれる生徒たちばかりを相手にしてきました。
だからこそ、たまに思うのです。
いったい教育困難校ではどんな国語の授業が行われているのだろうか?
こういった学校に通う生徒は、
学校を前述の「勉強するところ」なんていうふうには考えておらず、
「しょうがないから行くところ」
「友人とのコミュニケーションの場」などと捉えているのがほとんどです。
私も学校というのは、
学問を含めたさまざまなことを学ぶ場だと信じて疑いがありません。
勉強したくない人は高校なんて行くべきではない。
しかし、現実問題として、
もはや高校というのは義務教育みたいなもんになっております。
つまり、勉強したいから行くところではなく、
仕方なくいくところへと化しているのです。
そりゃあ、勉強なんてしないわな。笑
学校の先生というのは、
勉強したくない者に勉強を教えて勉強させるのが仕事です。
これはなかなか難しいことだと思います。
偏差値の高い生徒が通う進学校や、
学習塾・予備校で教えるのとは全然違います。
そういう意味でもプロフェッショナルと言えるのでしょう。
勉強したくない奴は学校に来るなと考えている私からすると、
頭が下がる思いでございます。尊敬です。
けれども、
そういった高校も必要とされるからこそ存在しているわけで、
これからの多様性の時代、ますます重要性が増していく気がします。
どうしても高校というと進学率や部活動の活躍などで認知されがちですが、
違う側面からも広く世間に認知される工夫が必要なのかもしれません。
そうすることで、結果的に現場で働く先生方の負担軽減に繋がることも
あるような気がします。
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