聴衆の耳を育てる②
noteの毎日更新。密かに自分で決めた目標を達成するべく、毎日いろんなことに奔走しながらも書き綴っています。
(実は、わたし的には激務な日々。ほぼ毎晩オーケストラの練習があり(しかもオペラのオーケストラ…!)同級生と立ち上げたTrio Lilaの会議や作業、次への準備、依頼されたオーケストラの譜読みやらリハーサルやらで、走り続けています。)
さて、前回から書き始めた「聴衆の耳を育てる」というテーマ。
この言葉にたどり着いた経緯、そもそもアワードにエントリーするに当たって悩んだことを書いてきました。
今日は、具体的に「耳を育てる」ということについて言葉にしてみようと思います。
そもそも、高校生の時から演奏会をしようと思ったのは、純粋に自分で自分の演奏する機会を創りたかったから、が一番最初にありました。音楽高校に入学しても、そうたくさん演奏する機会というのはありません。コンクールや試験という音楽で競い合う場所でしか演奏するチャンスを得られない。もちろん、賞を獲ることも必要ですが、音楽家の生き方は競うことではないよなぁというモヤっとした気持ちを抱えていました。演奏したいのであれば、演奏する機会をコンクール以外でつくろう。今思えばかなり短絡的な思考回路ですが、その当時のわたしにとってはそれくらい「演奏すること」に飢えていたのだと思います。
そして、母のマネージャー(なんでも屋さん?)をずっと務めていたこともあり、荻窪の街にある画廊のオーナーさんに「演奏会、開催してみない?」とお声掛けいただき、高校生ながら演奏会を開くチャンスをいただきました。
そこで、当時仲のよかった同級生とヴァイオリンデュオの演奏会を企画しました。
この、ヴァイオリンデュオの編成はあまりポピュラーな形ではありません。どちらかというと教育目的の曲が多く、演奏会で演奏する曲はそう多くないのです。そのため、知られていない作曲家や聴いたことのない曲を集めることになりました。
何も知らない曲を突然弾かれても困るだけだろう、それならば母と同じレクチャーコンサートの形で解説しながら演奏すれば良いのだと思い、わたしのレクチャーコンサートの企画運営が始まりました。
解説をするためには下調べが必要です。正確な情報を自分の中に落とし込んで理解して、自由に話せるようになるまで勉強をする。図書館で資料を読み漁って、知識を蓄える。学ぶだけでは足りません。自分の演奏を磨き上げなくてはならないため、リハーサルの時間をとり練習を積み重ねる。もっと言えば勉強と練習だけでなく、チラシとプログラムの作成、当日のタイムテーブル決めや受付業務のことの相談。全てを自分で決めて準備していく。難しいなぁと思いました。
演奏会当日。応援に駆けつけてくれた方のほか、画廊の近くに住む方々が聴きにきてくださりました。下準備を入念にしたことで、緊張しながらも自分なりのレクチャーコンサートを終えました。
その後、聴きにきてくださったお客さんと交流する時間で、いろんな感想をいただきました。中にはクラシック音楽はあまり詳しくないのだけれど、お誘いいただいたから来てみたわというおばさまやクラシック音楽が好きという方々と、多種多様なクラシック音楽歴をもった方がいました。しかし、みなさんに共通して感想をいただいたのは、「解説があってわかりやすかった」という声でした。音楽の専門用語をついぱっと使ってしまっても「書き言葉」だとわからないでそのまま流してしまうけれど、お話という形であれば、お客さんが頭を傾げたのがわかればすぐに別の言葉で言い換えることができる。それが功を奏して、わかりやすかったという感想に繋がったのだと思いました。
これが、レクチャーコンサートの良いところだなぁと実感や一つの自信を得た機会となりました。そこから、何度も企画をしてさらにわかりやすい説明や解説、何パターンかのお話を用意して、今日のお客さんの雰囲気や客層によって少しずつお話の方向性や言葉選びを変えていことを学びました。
レクチャーコンサートを通じてわたしが得たものはとても大きいです。それはお客さんも同じで、わたしの演奏会を聴きに来るたび新しいクラシック音楽の世界を知り、知らない作曲家に出会い、ヴァイオリンデュオの魅力を知る。
「この作曲家の曲、とても気に入ったわ!」
「この曲がとても良かった、懐かしい気分がした」
などと、お客さんが自らクラシック音楽に興味を持ち、別の演奏会にも足を運ぶようになったという声を、演奏会の回数を重ねるたびに聞くようになりました。
レクチャーコンサートをきっかけにクラシック音楽に興味を持つ、また新しい世界を発見することの喜びを知る、わたしがガイドするクラシック音楽の世界から、聴き手自らが次の世界へと歩み始める。これこそが、クラシック音楽が拡がっていく一つのきっかけなのではないかと思いました。そして、聴衆がどうして自らクラシック音楽に興味を持ったのかということを考えると、これはレクチャーコンサートを通じて聴く「耳が育った」のだと思います。
この「耳が育つ」体験をより多くの人にしてもらいたい。また、音楽家と聴衆が相互にコミュニケーションを取ることで生まれる、音楽の対話を増やしていきたい。「聴衆の耳を育てる」これに込めた想いです。
聴衆の耳を育てるために、我々音楽家も日々学び続ける。そんなサイクルを創り出したいのです。
前回も書いた通り、今まで感覚を頼りに手探りで考えてきたものを言語化するのはとても難しいです。この2回に渡って書いたnoteも時間が経って、違う道から言葉が転がり出てくれば変化していくかもしれない。音楽という見えないものと言葉を掛け合わせるが故に出てくる、この不確定でふやふやした感覚もすべて皆さんに伝わればいいなと思います。
ここまで、今わたしが綴ることができる言葉で「耳を育てる」ということについて書いてきました。言語化して、わかりやすく伝えること。アワードを通じて学びたいことの一つです。ただいま、一般投票期間となっています。もしよろしければ、背中を押す応援の1票をよろしくお願いします!
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